『剣遊記[』 第六章 女戦士は元に還れる夢を見るか。 (4) 「うわっち!」
三枝子がこそっと、孝治の右耳にささやいた。孝治はすぐに、我ながら素早くて大袈裟な反応(この場で五十センチのジャンプ。まあ平凡の内か)をやらかした。
さらに続けて孝治は、矢も盾もたまらずに問い返した。
「ああ……そ、そうっちゃけどぉ……まだ血があると?」
これに対し三枝子は、なんだか含み笑い気味に答えてくれた。
「ええ、実はフェニックスから頂いた血付きの布が、まだ何枚もあるとです✌ やけんそれば一枚差し上げますけ、うちが土壇場で逃げ出したこつ、どうかお忘れになってくださいね☺」
「する! する! するっちゃけ! ついにおれが男に戻れる日が来たっちゃあーーっ!」
このとき思わず叫んだ歓喜が裕志と同じく、阿蘇周辺に木霊した。
ついにおとこにもどれるひがきたっちゃあーーっ! ついにおとこにもどれるひがきたっちゃあーーっ!
「孝治っ! 駄目ばい!」
急いで友美が駆けつけ、それから慌てて、孝治の口を両手でふさいだ。
「うわっち! むぐぐっ! な、なんしよんね、友美ぃ!」
危うく窒息寸前となった孝治は、すぐに友美に文句を言い立てた。しかし友美は青い顔になって、うしろにいる三枝子を、そっと右手で指差していた。
「……これで、完全にバレちゃった……ばい……☠」
「えっ……うわっち!」
このとき孝治の瞳に写った三枝子の笑顔は引きつっており、おまけに徐々にと、怒りの感情がにじみ出していた。
先ほどはいきなり現われたサイクロプスのおかげで、どうにかうやむやの展開にごまかせた。だけど、今度という今度は、決定的だった。
もはやどうにもこうにも、ごまかす手段がないのだ。しかも自分自身ではっきりと明言をしたものだから、これではなおさら救いようがない。
「孝治さん!」
「うわっち!」
三枝子のド迫力な語調で、孝治はこの場にて三メートルも飛び上がった(これは嘘)。
「あわわ……♋」
怯える孝治に三枝子が迫った。
「男に戻れるっち、いったいどげんことなんですか! ここまで来たらもう、真実ば明らかにしてください!」
「ううわっちぃ……そ、それはぁ……そのぉ……☠」
「違うっちゃよ、これはね!」
完全に怖気づいた孝治に代わって、友美が三枝子の右耳にささやいた。どうやら即行ですべての真実を、友美が代行して話してくれるらしい。それこそ孝治の性転換の経緯から、どうして今の今まで内緒にしていたかの理由についてまで。
「……そげんことなんですかぁ……✐」
「……そ、そげんことっちゃよぉ……✁✃」
ここは友美の話上手に、心から大いに感謝。このおかげか三枝子の憤慨が、一応は収まった様子っぷり。少なくとも孝治には、そのように見えていた。
その代わりか三枝子は一度、孝治をジロッとにらみつけてくれたのだが。
「孝治さん!」
「うわっち! は、はい!」
三枝子のたったひと言で、再び孝治の全身が硬直化。見事な直立不動をさせてくれた。
「あなたが元男の分際で、うちといっしょに温泉ば入ったこと、この際不問にして差し上げます✄ やけんそん引き換えに、うちんことも不問にさせていただきますけね☛✊ よかですか!」
「は、はい! よかっちゃです!」
一も二もなく、孝治は返事を戻した。だけど、あとでよくよく考えてみれば、三枝子のいったいなにを不問にしたら良いのやら。さっぱりわからない孝治であった。
そもそも、それ(無断混浴の件)とこれ(三枝子の戦線離脱)とは、話が全然別問題のはず。
しかし、今は三枝子のド迫力に圧倒されて、孝治は疑問を差しはさむ余地すらなかった。 (C)2013 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |