『剣遊記V』 第三章 夜の酒場の出来事。 (4) 聞き慣れない第三者の声が店内に響き渡ったのは、そんなときだった。
「ほう、あなた様は衛兵隊の隊長殿ですか。こうしてお見受けしますところ、かなりご機嫌を曲げておられるようですな」
「な、なんだ、ろうにん……いや、ろ、老人!」
一気飲みの繰り返しで、相当お酒が回っているらしい。舌もやや、カミカミ気味になっている。そんな大門が、突然である声の出所に顔を向けた。
もちろん孝治と秀正も、同じく声の方向に注目した。
声の出所は、大門の右隣りに座っていた。しかし黒い頭巾を頭から深くかぶっているので、どうやら男らしいという風采以外、顔付きはまったくわからなかった。
ただ、声の感じから考えると、大門が言うとおりの高齢者のようではあるが。
「おい、あげな人、あそこにおったや?」
孝治はビックリ気分で、秀正に尋ねた。なにしろ大門をはさんで向こうの席に老人がひとり座っていたなど、今の今まで、まったく気がつかなかったのだ。
この事態にビックリ仰天しているのは、秀正も同様のようだった。
「……いや……知らんかったばい……☁」
首を横に振りながら、孝治に返す気力が精いっぱいのご様子。しかし大門だけは、気配も感じさせずに現われた老人の怪異性が、少しも気になっていない感じでいた。
「老人、わしが衛兵隊の隊長だと、なぜわかった☞ きょうはひとりで勝手に飲んどるだけなんだがな♪」
むしろ、おもしろいやつが出てきたとばかりに、積極的態度で正体不明の老人に話しかけていた。
老人は頭巾を深くかぶったままで、大門に顔を向けた。それでもなお、孝治からは表情その他が、まるで見えなかった。しかもなんだか、店内の照明からも、顔を隠しているような感じでいた。それでも老人が、大門がベルトに装備している、例の長剣に目を向けている様子なのは、孝治にもはっきりと感じられた。
(もしかしてこのおじいちゃんも、剣に興味があるとやろっか?)
これは孝治の思いこみなのだが、その実証は、当の老人がしてくれた。黒い頭巾と同じで、全体も黒で統一したコートのような服装の老人が、右手で長剣を指差したからだ。
このとき老人の手の甲をチラリと見た孝治は、ある事実に気がついた。
(なんねぇ、歳の割りにゃあ、綺麗な肌しとうばい☟)
右手の甲にはシワが見当たらず、高齢の特徴である血管も浮かんでいなかった。しかし反対に、大門の目は節穴のようだ。老人が年齢に見合いそうにない綺麗な肌をしているのに、まったく関心を示していなかった。それよりも老人が自分の剣に興味を示したほうに、少し感激しているように、孝治には見えていた。
「ほほう、老人、これに気づきおったか☀」
老人が自分の剣を指差してくれたので、ななめ気味となっていた機嫌を、多少だが好転させたようである。しかも事実、そのとおり、やはり老人は、剣に興味を感じていた。
「隊長殿、そなた、なかなか変わった形状の剣をお持ちのようですな。これはいったい、どのような逸品でございますかな?」
表情が不明な状態は相変わらず。でも声の調子に、なんだか張りが感じられてきた。
(みんな、やっぱそう思うっちゃねぇ☆)
老人の正体はいまだわからないが、孝治はなんだか、仲間を得たような気になった。さらに大門の機嫌も、かなり明るい方向へと転換していた。
「うむ、そのとおりだ♥」
誰でも誉められると、つい鼻の下を伸ばしたくなる自慢箇所が存在するもの。大門にとってはまさに、また誰もが予想できるとおり、腰のベルトに装備している長剣がそうらしかった。
そんな大門が、これまた孝治も予想するとおり、長剣の説明を長々と始めてくれた。
「初めに断っておくのだが、これは剣ではなく刀と呼ばれておる物だがな♡ まあ、そんな小さくて他愛のない話はいいか♡ とにかくこの刀に目を付けるとはご老人、なかなかにお目が高いようだな☀」
大門は、さもうれしい質問をしてくれたとばかり、腰の長剣――いや刀を鞘ごとベルトから外し、それをカウンターの上に置いた。
孝治も未来亭で怪盗事件が起きた朝、初めて遠目で大門の剣――いや刀を拝見。そのとき以来、興味を抱き続けていた。それが思わぬ所で、間近で眺められる機会となったわけだ。
もちろん老人も、大門が出した刀に注目。顔をテーブルの間近に寄せていた。
頭巾が深くて、いまだに顔がわからないが、興味しんしんの様子は、見ているだけで思いっきりに感じられた。
「ほほう、これが刀と申す物ですか。話では聞いたことがありましたが、こうして実物を拝見させていただいたのは、きょうが初めてですなぁ。確か、東日本の一部で古来より製造されていたのですが、今では伝承も絶えて久しいとか……」
謎の老人は刀について、多少の蘊蓄があるようだ。それがまたどうやら、大門の満足心を、心地良く刺激するらしかった。
「そのとおりだ♡ よく知っておるようだな、ご老人♡」
呼び言葉に『ご』を付ける気配りも、もはや怠ってはいなかった。そんな老人が大門に、再び問いかけた。
「それではなぜ、あなた様がこのような珍しい刀をお持ちで?」
「うむ、大したことではない♥」
などと口では謙遜{けんそん}しつつも、大門は至極丁寧に答えていた。
「これは我が大門家に代々伝わる、いわゆる家宝というやつだ✌ 当家では名刀『虎徹{こてつ}』と言い習わしておるがな✍」
自慢であろう逸品を披露する機会を突然与えられ、今や気分はすっかり舞い上がりの極致に違いない。大門が誰からも訊かれていない、刀の名称までひけらかす。
孝治はそんな大門の右横で、虎徹と自分の剣とを、しみじみとした思いで見比べた。
孝治の剣は、街の武具屋で値切って買った、由緒も誉れもなにもない、ふつうにありふれた安物である。
しかしそれでも、数々の冒険や戦いの労苦を共にしてきた、最も頼りになる友なのだ。
(剣は……由緒や誉ればっかしが能じゃなかっちゃけね✎)
孝治は声に出さないようにして、こそっとつぶやいた。しかしこれは、どこからどのように聞いたところで、ただの負け犬の遠吠え。一方、孝治の剣とは対照的。こちらは由緒も誉れも、それから威厳もあるぞとばかり、大門が虎徹を鞘から抜いて、その柄を両手でつかみ、せまい店の中で、スラリと刀身を振ってくれた。
「どうだ♡ これで満足いったか♪」
いかにも気分は上々と言いたげに。
「凄かぁ〜〜っ!」
そのあまりの優美さに、孝治も秀正も一切のお世辞抜きで、真面目に目が釘付けとなった。
それこそ刃こぼれひとつはおろか、一点の汚れも曇りも見当たらないのだ。
孝治の剣が『叩き斬る』ための刃{やいば}であれば、刀――虎徹はまさに、『斬る』のひと言で形容できるであろうか。 (C)2011 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |