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『剣遊記V』

第三章 夜の酒場の出来事。

     (3)

「いらっしゃい☹」

 

 酒屋の主人の声に、新客は振り向きもしなかった。ドアを開けて入ると、そのまま無言でガチャンと、孝治の右隣りに席を、ひとつ置いて腰掛けた。

 

 その姿格好は、金属製の甲冑で身を包んだ騎士。しかも腰のベルトには、かなりの長さがある剣が装備されていた。

 

 新客は孝治たち周りの面々を、まったく気にしていないらしい。とりあえず兜は外して、素顔を堂々と公開してくれた。

 

「あっ! あん人……☞」

 

 孝治は突然である新客の顔にも剣にも、見覚えがあった。しかし、今は声を出すことを、なんとなくだけど避けたほうが賢明な気がした。

 

 だから黙っておく。

 

 そんな孝治の知っている新客は、たったひとりで店に来たようだ。お伴はまったくなしのご様子。その新客が無愛想なしゃべり方で、店の主人に言った。

 

「親父、酒だ!」

 

 騎士の注文の仕方は、いささか乱暴気味。だけど店の主人は、この手の客に対する扱い方に慣れていた。

 

「へい、わっかりやした☻ で、なんの酒にいたしやす⛽」

 

 主人がなだめるような口調で尋ね返す。騎士はひと言で答えた。

 

「ビールだ!」

 

 理由の推測まではできないが、騎士はかなりご機嫌ななめのように、孝治には見えた。

 

「あれ?」

 

 さらに孝治はこのとき、騎士の態度に、なんだか違和感を覚えた。それは初めて見たときの印象と今とでは、まったく異なるような気がするのだ。

 

 鼻の下に伸びているカイゼル髭だけは、そのときからまるで変わっていないのだが。

 

「孝治、知っとうとか?」

 

 秀正が騎士の耳には届かないような小声で、孝治の左耳にそっと尋ねた。

 

孝治もこれに、小声で応じた。

 

「今度、この町の衛兵隊長に新しく赴任した、大門信太郎って人ばい✍ 今は連続怪盗事件の陣頭指揮ば取っとんやけど……☜」

 

「小娘っ! ひそひそ話をしとるつもりだろうが、わしにはちゃんと聞こえとる!」

 

「うわっち!」

 

 いきなり騎士――大門が、こちらに向いてドスのある声を響かせた。おかげで孝治は、椅子からそのままの姿勢で飛び上がるパフォーマンスとなった。

 

「ん? 小娘……どっかで見たような顔をしとるなぁ……☛」

 

 まだ酒も入っていないのに、大門の顔はすでに充分怖かった。そんな大門からにらまれ、かなり怖じ気づきながらも、孝治は精いっぱいの我慢力で応えてやった。

 

「ど……どうも……未来亭で、お目にしたことあるっち思いますよ♠」

 

「ああ、あの未来亭か☝」

 

 未来亭の名を出したことによって、大門の頭に例の記憶が浮かんだようだ。

 

「今度の事件で被害に遭ったあの店か☝ 確かあのときは、おまえは野次馬の中にふつうの服装で混じっとったようだが……今は鎧を着とるところを見ると、おまえは戦士をやっとるようだな♐」

 

 孝治は椅子に正しい姿勢で座り直して、大門に応じてやった。

 

「は、はい……一応戦士の端くればしちょります、鞘ヶ谷孝治ってモンでして……それはそうと隊長さん……未来亭でお目にしたときと……なんて言うたらいいのか、あんときは確か、『私』っち自称しよったような……☁」

 

 何度も思うのだが、初お目見えのときとは違って現在の大門は、まったく趣きを異にしていた。孝治はその口調や振る舞いに、大きな違和感を受けているのだ。

 

 あのときの第一印象で、家系も育ちも良好過ぎの御曹司だと、孝治は勝手に想像をしていたのだが。

 

 そんな孝治の言葉に大門が、本当につまらなそうな感じで応えてくれた。

 

「ふん☠ 単に公私を使い分けしとうだけだ✄ 大したことではないわ♨ それよりおまえは女の身でありながら、戦士などをやっておるのか☠」

 

 孝治をにらむ大門の目線には、明らかに一種の『見下し』が感じられた。

 

「女戦士といえば聞こえは良いが、要するにじゃじゃ馬であろうが☢ 女は家庭におればいいものを☠」

 

「隊長さんって、男尊女卑主義者なんですか!」

 

「ふん! だったら悪いか♨」

 

 いかにも傲岸不遜と偏見をあらわにする大門に、孝治は大きな立腹を感じ、思わず正しい姿勢を崩して、ダッと椅子から立ち上がった。だから口調も心情に合わせて、自然と荒っぽい調子になった。

 

 男尊女卑――孝治も男性でいたころは、特に意識もしていなかった。だが、自分がいざ女性に変わってみると、世の中が根強い男中心社会である事実に、今になって気づいたことが多かったのだ。

 

 その封建的男性優位主義者が、今孝治の瞳の前にいた。

 

 ついでに少々、話は脱線する。この大門の言葉を同僚の戦士である本城清美に、聞かせてあげたいものである。きっと彼女の気の荒さから想像をして、血の雨は避けられない事態となるだろう。

 

 それでも孝治自身は、ここはやはり穏忍自重といくべきか。

 

「いや、頭の固い人と話す気はなかです✄」

 

 孝治は振り上げた拳{こぶし}をそっと下ろす気持ちで、ゆっくりと椅子に座り直した。しかし孝治の気など知ろうともせず、大門は鼻息を荒くするだけでいた。

 

「ふん! 女の道から外れおって✂」

 

 そのついでであろうか。孝治の隣りに座っている、秀正に目を向けていた。

 

「そこにおる連れの男は、おまえの手下か?」

 

「違うったい!」

 

 この言葉には秀正ではなく、孝治のほうが過敏に反応。再び椅子から立ち上がった。親友を侮辱された気になって、つい我慢ができなかったのだ。

 

 しかし当の秀正が右手で孝治の左肩を抑え、半分強引的力で、椅子に座り直させてくれた。

 

 先ほどから孝治は、立ったり座ったりである。それから大門に、秀正自身が言葉を返した。

 

「そんとおり、おれはここにおられる鞘ヶ谷孝治殿の配下で、和布刈秀正っちゅう名の、しがない盗賊ですよ♪」

 

「ふん! 女の尻ばっかり追いよって♐」

 

 大門が侮辱に輪をかけたひと言を付け加え、出されたビールを豪快に一気飲み。だがそれくらいでは、まだまだ飲み足りないらしい。

 

「親父っ! もう一杯だ!」

 

 大きな銅鑼声で、右手に持った空のジョッキを、グイッと主人に突き出した。

 

 孝治はまだ憤慨が収まらない気分ながらも、大門の飲みっぷりには感心――かつ圧倒された。そのため逆に、なにも言えなくなった心境。そこで文句の矛先を、今度は秀正へと変えた。

 

「なして止めるとや! おれだけやのうて、おまえまで馬鹿にされたんやろうが♨」

 

「しぃっ!」

 

 これに秀正が口元に右手人差し指を立て、口調を柔らかにして、孝治をなだめた。

 

「まあ落ち着けや☻ そこの御仁は仮にも衛兵隊の隊長なんやろ☢ やけん、ケンカばしても、こっちが損するばっかりやけね⚠ ついでにお互いの立場もあることやけ♘」

 

「おまえって……大人っちゃねぇ♠♣」

 

 孝治はすっかり気勢を削がれた思いとなり、ため息をひとつ吐いた。


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