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『剣遊記V』

第三章 夜の酒場の出来事。

     (1)

 裏通りにある、小さな酒屋のカウンター。

 

 二島と初対面。さらに真岐子と二度目の対面を果たした、その日の夜である。孝治はそこで、親友の和布刈秀正{めかり ひでまさ}と席を並べ、ビールで静かな乾杯🍻を交わしていた。

 

 秀正は盗賊を生業とする男で、特徴と言われるモノは、特になし。強いて言えば、頭にいつも白いタオルを巻いているくらいか。

 

 まあ、服装などこの際、どうでも良し。孝治はコップに注がれたビールをチビチビ口にしながら、ため息混じりでつぶやいた。

 

「……ったくぅ、きょうはほんなこつ参ったっちゃねぇ☠ こげん女性んこつで苦労したんは、生まれて初めてやけ……間違えた☂ 性転換して初めてやった、きっと☠」

 

 秀正もやはりビールでチビチビやりながら、孝治の愚痴に付き合ってくれていた。

 

「そげん言うてもなぁ、責任の半分は孝治にもあるっち、おれは思うばい☻ まあ、おまえが女性で苦労するなんち、これもなんだか変な話なんやけどなぁ★」

 

「ほっとけ♨」

 

 酒の肴{さかな}の話題は、自分が覗きの濡れ衣を着せられた件に尽きる――と、孝治もしっかり自覚はしていた。

 

 孝治は昼間の騒動のあと、一番の誤解者である真岐子を中心に給仕係の面々を相手にして、徹底的な弁解と釈明を繰り返した。それによってようやく、みんなに一定の理解をしてもらった――つもり。だが、その努力に費やした精神の疲労は、やはり並大抵のものではなかった。

 

「で、その疲労回復と癒しば求めて、おれば飲みに誘ったっちゅうわけたいね♥」

 

 枝豆をつまみながらで秀正自身は、あまりおもしろくなさそうな顔付きでいた。その理由は、孝治にもなんとなくわかっていた。恐らく新婚早々である愛妻の穴生律子{あのう りつこ}(注 この世界では夫婦別姓)と、ふたりだけの水要らずなひとときを楽しみたかったのだろう。それなのにお邪魔虫の孝治によって、無理矢理に引っ張り出された格好なのだ。

 

 もっとも孝治に、罪の意識はカケラもなし。むしろ自分から酒に誘っておきながら、危険で誘惑的なセリフを、秀正相手にささやきかけてやった。

 

「まっ、そげんこったけ♥ でも、たまにはおれと飲むっちゅうのもいいんとちゃう? 端から見れば、立派な男と女やけね♥」

 

 ところが秀正ときたら、これがまったくの澄まし顔。孝治の言葉に動じる気配は、微塵もなかった。

 

「事情ば知らんやつが見れば、そげんなるとやろうけどな☠ でもあいにく、おれはおまえの正体ばよう知っちょうけ、うれしくもなんともなかけんな☢ たとえおまえが痴漢に襲われたって、手助け無用っちゅうのは経験済みなんやけ♀♂」

 

 などと平然な顔で問題発言を重ねながら、秀正がコップのビールをグイッと一気飲み。孝治はなんだか、おもしろくない気分になった。

 

しかしそれでも、場の空気を悪くするわけにはいかない。孝治は話題の方向性を変換した。

 

「ちぇっ……まあ、それはよか☹ それよか律子ちゃんのおなか、もう大きゅうなったとね?」

 

「当ったり前やろうも! 今や上から服ば着たって、すっごう目立つぐらいやけね!」

 

 なんと、話が愛妻の件に触れたとたんだった。やや陰鬱気味だった秀正の表情が、これまた一気に溌剌化した。

 

 それも無理はなかろう。なんと言っても秀正の妻である律子のおなかには、愛しい二世がすくすくと成長中であるのだから。当然秀正の鼻息は、荒いモノへと変化した。

 

「やけんたい! 律子が歩けるうちにやねぇ、ふたりで女房の実家に帰ろうっち思いよっと♡ さすがにお産ともなれば、新婚夫婦ふたりだけじゃむずかしいっちゃけねぇ♡」

 

「うわっち! そりゃ良かっちゃねぇ♡」

 

 孝治もすぐ、出産話に飛び乗った。たった今までのブルーな気分を、一気に振り払うような気持ちで。

 

「っちゅうと、産まれるときは、おまえの立ち会いっちゅうことやね♡」

 

「当ったり前やろ! 我が子の誕生に父親がおらんでどげんすっとや! 育児に参加せん男を父親とは言わんのやけね♡」

 

「おれはまた、律子ちゃんがおらん間に、おまえが浮気三昧するかっち思うたけどねぇ♡」

 

「しゃーーしぃったい!」

 

 孝治のからかい気味なツッコミで、恐らく脛{すね}に傷を持つ思いなのであろう。秀正が顔を真っ赤に染め上げた。

 

 それはまあ、本人の自業自得(浮気の前科)。しかし孝治は、さらに突っ込んでやった。

 

「すると産まれる子供の名前ば、もう男ん子用と女ん子用っち、しっかり考えとったりしてねぇ♔☀ 今までの罪滅ぼしっちゃね♡」

 

 このツッコミに対し、秀正はそれこそまさしく正直だった。

 

「な、なして、そこまでわかったとや?」

 

「ほ、ほんなこつ……そうやったんけ?」

 

 孝治はツッコミの矛先を見失った気分となった。


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