『剣遊記番外編V』 第三章 悪魔がやってくる。 (2) 美香が人でいる姿でのお目見えは、珠緒にとっては初めてであろう。
狼少女は未来亭給仕係の制服(あるいはメイド服)を着ている美香の格好をまじまじと見つめ、それからひと言。感想とやらを言ってくれた。
「う〜ん♪ けっこう可愛い顔してんじゃん♡ なのにどうして、いつもカモシカでいるべえかなぁ?」
「それ、あたしにもわからんって、なんべんも言うただにぃ♐♠」
朝食に用意をされた味噌汁を御飯にぶっかけながら、美香の代理のつもりになっている可奈は、ぶっきらぼうな気分で質問に答えてやった。
実は可奈の胸にはまだ、昨夜の恐怖心がこびり付いたままでいた。しかしその本心と食欲とは、互いにまったく干渉しなかった。
つまりどのような災厄に見舞われたところで、三度の飯は絶対に欠かさないだけ。
それはさておき、現在美香が着ている未来亭給仕係の制服は、彼女がこの世で所持をしている、唯一の衣服でもあった。その理由は、美香が長野県から遠路はるばる単身で九州まで来たとき、文字どおりの裸一貫であったからだ。なにしろカモシカ姿のままで服も着らず、日本列島のほぼ半分を縦断してきたわけであるからして。
その偉業を称えられたわけでもないが、そのまま未来亭の給仕係として採用された美香は、支給された給仕の制服を、ただひとつの自分専用の私服として利用していた。だから可奈といっしょに遠方まで冒険に出かけるときも、いつもこの格好でいる有様なのだ。
ちなみに美香がカモシカに変身中のとき、可奈は制服を小さく折り畳んで、自分の黒衣の懐に仕舞い込んでいた。
「あのぉ……☛」
今回の冒険(と言うより、今回のストーリーで)初めて、美香が声を出した。それも、物凄く聞こえづらいほどの超小声で。
「えっ? な、なんだねー?」
もちろんこれでは、美香がなにを言っているのかわからない。当然の結果なのだが、珠緒は思わずの感じで、美香に聞き耳を寄せていた。
これに美香が、ふた言目を発した。
「御飯のお代わり……いいずらか?」
「もう一杯食べてええかって言うんだにぃ♠」
慣れた口調で、可奈は助言をしてやった。
「あらぁ……そうなんねー、ちょっと待ってね✌ でも、もうちっとぐれーはっきり言ってくれんかねー☺」
このような感じで、小さな文句も付け加えながらであった。珠緒が美香から茶碗を受け取り、御飯釜を置いてある隣りの台所へと、足早で駆け込んだ。この隙を見計らってから、可奈は美香に、そっとささやいた。
「美香、御飯さ済んだら、こんなとこてんづけで退散するずら☝ こん先なんがあるか、わかったもんじゃねえずらよ☠」
「どうしてだに? まだ御飯よばれたいずらぁ……☁」
不思議そうな顔になって、美香が可奈に尋ね返した。それをまた可奈は、面倒臭い気持ちになって言い返した。
「あんねんまくもこんねんまくもねえずら! やぶせったいこと言ってねえで、黙ってあたしの言うこと聞くずらよ♨」
「うん……☹」
美香が渋々とうなずいた。このようなカモシカ少女の極端な小声など、可奈にとっては子供のころからの慣れっこであるのだ。 (C)2014 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |