『剣遊記W』 第七章 ワイバーン騒動後始末。 (1) 店から雇われていた用心棒は全員、雇い主を見捨てて逃走した。
理由は明白かつ単純。切羽詰まった孝治のとんでもない行動で、生け捕りにしてあったワイバーンが、恐るべき話。なんと自由の身になったからだ。だがこの間、酒場の荒生田と三人の戦士くずれ用心棒たちは、いまだこの非常事態を知らなかった。それどころか無邪気にも、チャンバラゴッコを上演中でいた。
「ゆおーーっし! これでどげんやあ!」
剣の実力では、荒生田は三人を、完全に上回っていた。現に三対一の有利にありながら、用心棒たちのほうが圧倒的に、荒生田によって押され気味にされていたからだ。
ところがその分、荒生田の注意力は、見事に散漫となっていた。だから異変を先に察知したほうは、荒生田よりもむしろ用心棒たちだった。
「……ちょっと待つぜよ! 今なんか聞こえんかったか?」
「なんか……吼えるような声やったきに?」
しかし荒生田は、丸っきり聞く耳持たず。戦闘中は敵にしか集中できない戦士としての重大な欠点が、このような非常時に露呈するものなのだ。
「聞こえん聞こえん! てめえら、勝負の最中に嘘八百ばほざいてオレば騙くらかそうかて、そうはいかんけねぇ!」
敵からの忠告を、あっさりと一蹴。さらに剣技を緩めず、ついに三人の剣を、カチンカチンと床に叩き落としてやった。
これは戦いの最中に動揺した時点で、すでに勝敗が決したというべきであろう。こうなると、荒生田が持ち前の性格どおり、見事な天狗ぶりを発揮した。
「ゆおーーっし! どうやら終わったようばいねぇ♡ ここで降参するとやったらてめえらの悪行、全部水に流してもよかっちゃけね……ところでおめえら、どげな悪行しでかしたとや?」
「はりゃりゃりゃりゃ☠☢☄」
しかし口上は、先ほどと同じボケの繰り返し。用心棒三人が、ドテドテッと前向きに転倒した。だがそれ以上に、彼らの動揺は収まっていなかった。
「今の吼え声……絶対只事やねよにゃあ……☁」
「そう言えば……なんか床が揺れとうような……☂」
「この揺れ方……地震やねえぜよぉ☃」
「おめえらぁーーっ! 人ん話ば聞かんけぇーーっ!」
「おわぁーーっ!」
「ひ、ひえーーっ!」
「どひゃあーーっ!」
無視される扱いが一番腹の立つ荒生田の癇癪が大爆発。これに三人が、一斉に驚いた――わけではない。
それでも初めは、荒生田も満足気味であった。
「ゆおーーっし! そうそう♡ 人ん説教はありがとう聞くもんやけね♥」
しかし三人の用心棒は、荒生田の背後を指差してわめくばかり。ふつうの人であれば、ここで不審を感じて、うしろに振り向くものであろう。だが荒生田のような戦士の場合、そう簡単にはいかなかった。正直にうしろを向いたとたん、背中からバッサリの危険があり過ぎだからだ。
「ゆおーーっし! おめえら、そげんしてオレの背後ば取ろうたって、そん手にゃ乗らんけね♥ オレにセコい作戦で勝とうなんざ。三億五千年早いとやけ☆」
「もう! てめえにゃ付き合えんぜよぉ!」
「お、おい!」
三人は荒生田の戯言{たわごと}をお終いまで聞かずして、脱兎のごとく、酒場から駆け出した。 (C)2011 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |