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『剣遊記W』

第三章 ワイバーン捕獲前哨戦。

     (9)

「来るで☝」

 

 最初に声に出して言った者。そいつは沢見であった。またそれが、ホラでも早トチリでもなく、実際の状況である事実を、草原の張り詰めた空気が教えていた。

 

「このまんまやったら、わいらワイバーンから丸見えやで☠ どっか高めの草の下に身ぃ隠さなあかんで☛」

 

「沢見って人……やっぱ只モンやなかばい♥」

 

 自称商人{あきんど}から、的確な指示を受けながらであった。孝治は以前から実感していた思いを、この場において改めて再認識した。

 

 沢見は確かに戦士でも魔術師でもなく、あくまでもふつうの商人なのであろう。しかしそれなりに経験を積み重ねているような生き様も、沖台の言うとおり間違いがなさそうだ。

 

 恐らくヘタな戦士顔負けの、鋭敏な直感と神経を持ち合わせている――としか思えない。

 

 そんなこんなで、待つことほんの数刻。突然周囲に、びゅーーーーーーっと旋風{せんぷう}が巻き起こった。さらに草木が揺らいで、枯れ葉が一斉に空中へと舞い上がった。

 

『孝治っ! 真上っ!』

 

 自分の大声が限定者以外には聞こえない設定(?)を熟知している涼子が、天の一角を右手で指差した。

 

「うわっち!」

 

 つられて孝治も、大声が出そうになった。だけど慌てて、自分の口を両手で抑えつけた。

 

 声を聞かれたら最期。たちまち襲いかかられて、一巻の終わり。そんな怪物が、現在頭上に存在しているのだから。

 

 さらに他の仲間たちも、各々自分の口を窒息しかねないほどの勢いで閉ざしていた。ただし荒生田の口は、沢見が背後から無理矢理的な抑え方。裕志は沖台が羽交い絞めをしながら、やはり器用ではあるが口をふさいでいた。

 

 戦士と魔術師よりも、商人二人組のほうこそ危機管理意識がしっかりしているから、このような変な事態となるのだろうか。それはとにかく、孝治たち全員が無言となったところで、上空を巨大すぎる黒い翼が通過した。

 

(デ、デカかあ! これが……ワイバーンけえ!)

 

 孝治は声を大にして叫びたかった。まさにその大きさたるや、優に大型帆船くらいはありそうな気がした。それに加えて一瞬、辺りがいきなり夜になったのかと、孝治は錯覚をしたほどであったから。

 

 また、突然の遭遇で詳細に見ることができなかったのだが、ワイバーンはやはり巷で言われているとおり、ドラゴンに似た姿をしていた。だがその顔付きは、凶暴な人食いワニそのもの。ただしドラゴンとは違って、かなり気品に欠ける部分があった。

 

 その最も大きな形態的違いは、背中にある翼の生え方といえるだろう。ワイバーンには前足と呼ぶべきパーツがなく、代わりに翼が、その部分から広がっていた。

 

 これがドラゴンであれば、翼が直接背中から広がり、両手両足とも健在である。

 

 以前に孝治は、到津が変身したドラゴンの姿を、間近で見せてもらった経験があった。だからドラゴンに関する蘊蓄であれば、誰にも負けないと自負していた。だがその自慢的牙城は、本物のワイバーンを前にして、呆気なく吹っ飛んだようなものだった。

 

 しかし、上空を通過中であるワイバーンは、現在棲みかに戻る考えしか、自分の頭にないらしかった。草原の草木になんとか身を隠している捕獲者たちには、まったく気づく様子がないのだから。

 

 どうやらこのまま、剣{つるぎ}の山頂へと向かっているようだ。

 

 草原に、一陣の旋風{つむじかぜ}を残して。

 

 それからしばしの時間が経過。沖台がようやく羽交い絞めを解いてくれたので声を出せるようになった裕志が、おののきの口調でささやいた。

 

「あ、あれば……ぼくたちで捕まえると……?」

 

 裕志の顔には『無理』の二文字が、ありありと浮かんでいた。すると荒生田が、そんな後輩の頭を、ボカッと右手でしばいた。

 

「痛っ!」

 

「ばぁーたれ! そげなわかりきったこと言うんじゃなか! なんのためにオレたちが四国まで来とるっち思うとや♨」

 

 先輩こそわかっとうと――と、孝治は逆に荒生田に尋ねたかった。だけどよくよく考えてみれば、孝治は荒生田が突然ワイバーン狩りを言い出した理由を、まったく知らないままだったりしていた。

 

(ほんなこつなしておれが、こげなとこにおるんやろうなぁ……☠)

 

 あえて強弁をすれば、他ならぬ尊敬している帆柱先輩からの頼みであったのだ。そのため孝治は特に理由を尋ねもせず、二日酔い頭で引き受けたわけ。これはむしろ、酒のせいのほうが、理由が大きかったりして。

 

 それでもとにかく、嫌いな先輩との同行を承諾したわけである。だからもし、荒生田の本当の目的が、街の女の子たちからモテたい一心だとわかれば、孝治は恐らくその時点で、史上最高級で激怒するに違いない。

 

 そんな中で、沢見のささやいたひと言が、孝治の耳にその後も印象深く残るようになった。

 

「きょうのところは御挨拶や♥ けどあしたはこうはいかへんで♐ ワイバーンのやつ、首を洗って待っときや✄」


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