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『剣遊記W』

第三章 ワイバーン捕獲前哨戦。

     (5)

「よう! 孝治っ♡」

 

 荒生田は孝治に気づくなり、右手を高く上げた。それから相変わらずの自分勝手な戯言ばかり。

 

「いやあ、先輩思いの後輩ば持って、オレはほんなこつうれしかっちゃねぇ♡ なんつってもオレんために、性別まで変えてくれるやつなんやけねぇ♡♡」

 

「違うったい!」

 

 孝治は即座に否定したが、荒生田にはまったく通じなかった。それどころか孝治のお尻を、右手でプリプリと撫でまくる始末。

 

「うわっち!」

 

「う〜ん♡ ええ感触✌」

 

 次の瞬間、孝治の右メガトンパンチが荒生田の左顔面に決まったことなど、今さら描写するまでもない話。

 

 帆柱は孝治を、サングラス野郎の監視役にしたつもりであろう。しかし実態は、まるで逆。これではどう贔屓目に見たところで、ニワトリキツネの見張りをさせているようなものである。

 

「まあまあ、おふたりさん✐ おもろい漫才見せてもろうておおきになんやけど、ちと声が大きいで☛」

 

 荒生田と孝治の他愛ない日常茶飯事(?)を愉快そうに眺めていた沢見が、ここでふたりの間に割り込んだ。その一方で、沢見の右隣りに並んでいるアンドロスコーピオンの沖台が、孝治を物珍しそうに頭のてっぺんからつま先に到るまで、舐めるように見つめていた。

 

 恐らく孝治性転換の経緯を、荒生田から面白半分――いや全部で、すでに教えられ済みなのであろう。これは孝治にとって、実によけいなお世話の話である。

 

 その沖台の半分巨大サソリの体を、幽霊娘――涼子がこれまた物珍しげに眺めているのだから、世の中は本当にややこしいものだ。

 

「や、やあ……どうも……☻」

 

 胸の内にくすぶる疑念をなんとか顔には出さないように心掛け、孝治はぎこちない挨拶を沢見と沖台に返してやった。ところが沢見のほうは、これが実に好奇心丸出しの態度でいた。

 

「話は聞かせてもろうたで✌ あんさん昔は男やったんやってなぁ♀♂」

 

「は、はい……そんとおりで……☁」

 

 まるで遠慮を知らない口の聞き方で、孝治は作り笑顔が苦虫を二億匹噛んだような苦笑に変わる自分を自覚した。

 

 しかし、ここはさすがに大阪商人。荒生田が吹き込んだに違いない与太話でも、突飛な情報にはとにかく目がない――と言ったところであろうか。

 

 そんなわけで、沢見の無遠慮は続いた。

 

「これはなんや、ちょっとした噂なんやけどな☝ ワイバーンっちゅうやつは、人間の女子{おなご}にごっつう弱いっちゅう話やそうやで✌ よって、あんさんが男から女に変わったっちゅう話は荒生田はんから聞かせてもろうたんやけど、これはえろう好都合な話かもしれへんなぁ☆」

 

「ははは……☠」

 

 孝治は苦笑に加え、今度は引きつり感まで生じた自分を再自覚した。なぜなら、後輩の不幸をお笑いに変えてしまう先輩の悪行に無茶苦茶腹を立てつつも、ついでに沢見の商人根性に、正直脱帽の思いとなったからだ。

 

 他人のどのような境遇でも、すぐに前向きな話へと変換できる発想力。これはこれで、大いに見習うべきなのかもしれない。

 

(どっちんしてもこの沢見って人……只モンやなかばい✍)

 

 孝治は再び、胸の内でこの大阪商人に、一目置いておこうと決めた。

 

(大阪っちゅうたら、千秋ちゃんと千夏ちゃんの生まれたとこやけねぇ✍ やっぱ一筋縄では行かんばいねぇ✎✏)

 

 実際、美奈子の愛弟子である大阪双子姉妹にも、孝治はいつもキリキリ舞いをさせられているのだから。

 

 だがこのとき、アンドロスコーピオンの体形上、身長――いや座高の低い沖台が、背伸びをするように手すりから身を乗り出した。それは遠方にかすんで見えていた陸地が近くなった様子を、左手で指し示すためだった。

 

「兄貴ぃ! もうすぐ四国やでぇ✈」

 

「おう✌ やっと着いたんかいな☞」

 

 沢見は簡単に応じただけだった。だけど孝治にとっては、初めての上陸の地であった。

 

「これが四国けぇ……☛」

 

 孝治の瞳には、四国の山並みが海上高くにそびえ、波乱に満ちていそうな一行を『よう来たぜよ✌』と、迎えているように見えていた。


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