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『剣遊記W』

第三章 ワイバーン捕獲前哨戦。

     (1)

「なしておれが、こげなとこにおるとや?」

 

 先ほどからつまらないぼやきを続ける孝治は現在、船上の人となっていた。

 

 しかも船に乗っている面々は、孝治だけではなかった。友美と涼子もいつものごとく、孝治に同行していた。

 

 なお、孝治たちの乗っている船は大型の帆船などではなく、近距離用の中型観光船である。それも波の静かな内海や、湖などで、よく見かけるタイプの船舶なのだ。

 

「ひさしぶりっちゃねぇ☀ こげんして船で旅に出るなんち、前に石見の銀山に行った、日本海経由の船以来ちゃねぇ♡」

 

 友美が気持ち良さそうに甲板で潮風を受ける姿も、今や定番。ついでに突然とも言えそうな現在の状況を、あまりおかしく感じていないようでもある。

 

「あんまし手すりから身ぃ乗り出すもんやなかっちゃよ♐ 気ぃ抜いたら海にドボンやけねぇ☠」

 

『ちょい待ち!』

 

 友美に向けていつもの注意を、孝治は言ってやった。ところがここで、涼子が右手を出して、なぜか引き止める動作をしてくれた。

 

 無論幽霊の立場を良いことにして、ここでも真っ裸のスタイルを貫いていた。

 

「な、なんねぇ、急に……♋」

 

 唖然とした思いの孝治に向け、その涼子がヌケヌケと言ってくれた。

 

『孝治は忘れとんやないと? 今回の航路は日本海の荒波やのうて、波のおだやかな瀬戸内海やっちゅうことをやね☝』

 

「そげなん忘れるわけなかっちゃよ☻」

 

 孝治は唖然の気持ちが、ますます増加する思いになった。確かにこの海は涼子の言うとおり、波の静かな瀬戸内海である。だからこそ、大洋を渡る大型船ではなく、中型や小型の船舶でも、海難などの心配なしに航行ができるのだ。

 

 もっとも、以前に乗船をさせてもらった日本海のときも――運良くであろうが――快晴の日が続いて、海はそれほど荒れてはいなかった。孝治はそのときの航海を思い出しながら、今度は感心した気持ちになって、涼子に応じてやった。

 

「幽霊やっちゅうのに、いろいろくわしいっちゃねぇ……涼子は✍」

 

『うふっ♡ まあね♡ 幽霊っちゅうのはよけいやけどね♥』

 

 涼子が得意そうな顔になって、甲板上の手すりに腰掛けた。ちなみにその場所は、友美のすぐ右隣り。孝治は思った。

 

(こげんして見たら、ほんなこつふたりは双子っちゃねぇ☺☻ 他人の空似っちゅうのが、まるで信じられんばい✍ 身長差かて、いっちょもなかとやけ✐✄)

 

 なお、半透明の幽霊とはいえ、大海原を背景にした涼子の全裸姿は、なぜかとても素晴らしい絵になっていた。それも改めて拝見すると、さすがに涼子の肖像画が未来亭に飾られているだけあるっちゃねぇ――と、孝治は感慨深くも声には出さないようにしてつぶやいた。

 

 その涼子が、逆に声に出してつぶやいた。やっぱり孝治と友美向けであるが。

 

『あたし……死ぬまでほとんどベッドから出たことなかったけねぇ♣ やけん、本だけはげっぷが出ちゃうほど、よう読みよったと♠ 死んでもお金はあの世に持って行けんっちよう言うっちゃけど、知識は別やけねぇ……あら?』

 

 涼子の思い出話(?)が、軽い自慢へと走りかけたときだった。孝治たちの乗っている船が、ぐらりと大きく揺れた。波の静かな瀬戸内海でも、たまにビックリするほどの大波があるものだ。

 

『きゃあ!』

 

「うわっち!」

 

 この予期せぬ揺れによって、甲板上で孝治は仰向けに倒れる無様を晒した。また、これも一種の油断であろうか。さらに孝治の上から、手すりからすべり落ちたらしい涼子が、覆いかぶさるように倒れ込んできた。

 

 体重のない幽霊も、時にはミステイク。重力の作用を受けることが、これにて判明した。

 

 一方友美は手すりにしっかりとつかまって、なんとか難を免れていた。しかし、その代償なのだろうか。

 

「きゃっ! ふたりとも大丈夫け……あらぁ!」

 

 友美の瞳に、孝治の上から裸の涼子が抱きついている――そんな淫{みだ}らな光景が写ったようだ。

 

「ちょ、ちょっとぉ! ふたりでなんしよんねぇ!」

 

「うわっち!」

 

 孝治は慌てて、仰向けだった上半身を起き上がらせた。

 

 自分にかぶさっている、涼子の幽体をすり抜けて。

 

 だけど涼子本人だけは、違う態度を取ってくれた。

 

『惜しかぁ♐ もうちょいやったのにぃ♪』

 

「なんが『もうちょい』やったとねぇ♨」

 

 いかにも残念そうな顔付きで右手の指をパチッと鳴らす(これも声と同じ。孝治と友美にしか聞こえない)涼子に、孝治は頭から湯気が噴き上がる思いで怒鳴りつけてやった。そこで友美が、口元に右手人差し指を立てた。

 

「しっ! 裕志くんが来たっちゃよ✈」

 

 こうなると、たった今起こった恥ずかしい出来事は、この際全部不問。

 

「ヤバか!」

 

 友美から注意をされた孝治は、慌てて自分の口を両手でふさいだ。今回の旅の主催者の一員である魔術師――裕志が、ふらふらとした足取りで、船倉から出てきたからだ。


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