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『剣遊記番外編V』

第二章 深山の狼少女。

     (8)

 野伏という職業柄なのか、闇に閉ざされている深夜の野山でも、珠緒は特に恐れなど感じていない様子。なんのためらいの素振りも見せないで、さっさと小屋の外に出ていった。もちろんそこのところは、可奈だって負けてはいなかった。

 

「あたしもくねっぽく放浪者やってたときは、夜の山のとんびねみてえなとこで、ひとりで野宿さしたことあるだにぃ……☺☻」

 

 ぶっちゃけて言えば、実はこれはやせ我慢。だけどぐっすり眠っている美香を起こし、無理矢理に同行させるのも、正直気が引けた。

 

「あたし……ひとりで行くしかねえずらぁ……かやぁ……☁」

 

 こちらはかなりのためらいがあるものの、可奈はやむなく腹を決めた。しかしそれを実行するなら、まずは服さ着て行くずら――と、可奈は続けて考えた。

 

 無論、闇に溶け込む黒衣の着用は、夜の尾行には持ってこいであろう。ところがそこで、可奈はふと立ち止まった。急にここで、暗闇にまぎれる以上の良策を思いついたからだ。

 

「……もっとええ方法があったんずらぁ……でもそれさ使うんは、ちっとべぇ癪な気もするんだにぃ……いったい何度目ずら? こん方法さ使うんは?」

 

 ひと言、どうでも良いようなつぶやきを、口からこぼしたとたんだった。下着姿でいる可奈の体が、それこそみるみると縮まりだした。

 

 それからわずか数分にして、可奈の姿は寝室から消えた。このあと床に散らばっている下着の下から、一匹の小さな赤毛のリスが顔を出した。

 

「ちっちっ!(またこん力さ使っただにぃ……ほんにこんでええかや?)」

 

 赤リスは可奈の思考を持っていた。そのリスが扉の隙間から、小屋の外へと飛び出した。

 

 これはあまり知られていない話であるが(ほんとかよ?)、リスへの変身も、可奈の十八番{おはこ}のひとつなのだ。ただしこの変身は、可奈自身で望んで獲得した魔術ではなかった。

 

 話はかなりの昔になるが、可奈は未来亭専属の先輩魔術師――天籟寺美奈子との魔術合戦に一度敗れ、そのときにリス化の呪い魔術をかけられていた。

 

 その後、呪い自体は解かれたものの、リスに変身できる能力――と言うよりも後遺症が、しっかりと残る結果となったのだ。

 

 せめてもの救いは、これが可奈自身の自由意思で、リスに変身したり元に戻ったりが可能であること。大きな屈辱の割にはけっこう便利で重宝できるのが、可奈にとっては痛し痒しと言ったところか。

 

「ちっちっ!(いっけね! とんで行くずら!)」

 

 とにかくリスへの変身を遂げた可奈は、急いで夜道に消えた珠緒のあとを追った――と、その前に、床で寝ているカモシカ――美香にチラリと振り返り、声には出さないで、そっとささやいてやった。

 

(ちっとべぇ行ってくるずらぁ♡ おとなしゅうしとくずらよぉ♡)

 

 もっともリスになれば、可奈も人語がしゃべれなくなるのだけど。


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