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『剣遊記番外編V』

第二章 深山の狼少女。

     (1)

可奈はすぐさま、美香の叫び声が聞こえた方向へと駆け出した。

 

ここでよけいなお節介をひとつ。可奈は初めは真っ裸のまま、小川から森の中へと飛び出した。

 

さすがに親友に危機らしい事態が起こったともなれば、着衣の時間さえも惜しんだのだ。

 

しかし、このままじゃやっぱだいじょうじゃないずら――と、走りながら途中で考えた可奈は、すぐに呪文を唱えて黒衣を浮遊で追い駆けさせ、現場に駆けつけるまでに、着衣を無理矢理的で終わらせた。

 

なんたる器用ぶり! これこそ可奈の可奈たるゆえんだとは言えないだろうか。

 

それはさて置き、山道を走るともなれば、可奈もこれでけっこう、足が速い部類だった。

 

魔術師が職業である可奈も、美香と同じで信州の山国育ち。結果、足腰の強さは並みの都会人など、まるで足元にも及ばないのだ。

 

そんな俊足で、可奈は現場に駆けつけた。そこは小川の上流からさらに山を登った、断崖の下に広がるススキの茂った、だだっ広い原っぱであった。

 

高山植物が点々と花を咲かせている野原の真ん中でなんと、美香であるカモシカと――茶色い毛並みの狼が、見事なにらみ合いを繰り広げていた。

 

どうしてこのような状況になったのか。可奈にはだいたいの想像ができた。恐らくは広い野原を駆け回るカモシカ(美香)を獲物にしようと、狼が襲いかかったのであろう。

 

だけども美香はライカンスロープ。カモシカの体に人の知性を備える美香の反撃を喰らって、狼も思わぬ難敵に、とまどいを隠せないまま攻めあぐねているようなのだ。

 

「美香ぁ!」

 

 野性の狼など、恐れずに足りず。可奈は美香の元へと駆けつけた。

 

「!」

 

 この突然なる人間の乱入にも驚いたらしい。狼の行動に、なんだか困惑のような感じがあった。

 

 しかし狼がその気になれば、人間など簡単に牙の餌食にできそうなもの。ところがあいにく、カモシカが狼に頭を向け、鋭く尖った二本の角で、ギラリとにらみを効かせていた。これは狼が動けばすぐにカモシカも飛びかかり、角で手痛い一撃を喰らわせてやろうという体勢であった。

 

 これではさすがの野獣の王も、身動きひとつできないようだ。

 

 また、可奈も周辺を見回した限りでは、狼は瞳の前の一頭しか見当たらなかった。だからこそこのままいつまでも、にらみ合いを続けるわけにはいかない。なぜなら群れで行動する狼たちが、いつ仲間の応援に現われるのか。まったくわかったものではないからだ。


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