『剣遊記]』 第三章 渡る世間は敵ばかり。 (23) 思えば子供のころからだった。秀正や孝治(注 当時男の子)といっしょになって、野山を駆け巡った律子である。それもヘビでもカエルでも、平気で扱える気丈ぶり。そんな性格から想像をしても、律子は自分が薔薇に変身できる体質になったくらい、大して気にもしとらんのかも――それはそれで、かなり怖い感じがするっちゃけど――孝治はそこまで考えながら、ブルッと思わず身震いをした。そこでまた、別の次元で考えてみれば、孝治は今直面している大問題に、改めて気がついたりもした。
「うわっち! おれってまたすっぽんぽんやったばい☠」
「そうばい……今んなってわかったと?」
友美からも突っ込まれた。
「孝治ぃーーっ!」
このときまたも、いったいタイミングが良いのか悪いのか。律子の旦那である当の秀正が、孝治水浴の場に走ってきた。
「うわっち! 秀正っ!」
孝治はたまげた。今は別に、律子も孝治も危機に陥っている状況ではなかった。また秀正は、縛っている荒生田の見張りも引き受けているはずだが、なぜかあっさりと、その約束を放棄したようだ。
そんな秀正があせっている理由は、ただひとつ。孝治にもすぐにピンときた。それは自分の親友(孝治)と自分の愛妻(律子)の間に、なにか重大なる間違いが起こっていないかどうか――の一点なのだろう。
「うわっち! 危なかぁ!」
いくら親友とはいえ、さすがに自分のヌードを見られたくはなかった。孝治は慌てて小川へとジャンプ。バシャンッと水の中に飛び込んだ。ちなみに友美は、秀正の予兆を先に感じたらしく、早めに川へと入っていた。ズルい!
実はずっと以前、秀正をからかうつもりで自分の女体を披露した前科が、確かに孝治にはあった。しかし現在、奥方が目の前にいる場所で、そのような真似など、到底できるはずがない。
「ど、どげんしたっちゃね、秀正っ! 先輩はもうええんけ?」
水面から頭だけを出し、孝治は心臓がドギマギしつつ尋ねてみた。ところが当の秀正ときたら、相当に爆発的な剣幕を、孝治たちに感じさせていた。
「先輩なんけ、可奈に見張りば任せたっちゃけ! それよか律子はどこ行っとうとや!」
「律子ちゃんは……☁」
ここでいったん、孝治は口ごもった。それから横目でチラリと、川辺で花を咲かせている、薔薇の樹木に視線を変えた。
秀正が現われたとたんだった。律子はピタリと動くことをやめ、今はふつうの薔薇に徹していた。
(ほんなこつこれやったら、秀正にほんとんこつ言うわけにゃあいかんちゃねぇ……☠)
孝治はたった今、律子が言ったセリフの意味を、本心から理解した。だからここでは、嘘も方便。事実とは異なる内容で答えるようにした。
「お、おれよか先に上がって、小屋に戻ったはずっちゃけどぉ……すれ違わんかったけ? おかしいっちゃねぇ……☠」
「ほんとけ?」
孝治自身も自覚をする、いかにもわざとらしい口調だったにも関わらず、苦しまぎれの言い訳を真に受けてくれたようだった。秀正が踵{きびす}をクルリと返し、まっすぐ元の小屋の方向へと駆け戻っていった。 (C)2014 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |