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『剣遊記]』

第三章 渡る世間は敵ばかり。

     (18)

「……ったくぅ、冗談やなかばい♨」

 

 小川の水温は可奈が言っていたほど冷たくはなく、むしろ素肌に心地良い温かさがあった。もしかすると上流のほうに、隠れた温泉の源でもあるのだろうか。

 

 その温かい理由はともかく、軽装鎧も着衣もすべて脱ぎ終わり(当たり前だ)、川の流れに身を沈ませた孝治は、できれば律子が来る前に、水浴を終わらせようと考えていた。また孝治の右隣りでは、友美もいっしょに水浴を満喫していた。

 

 秀正は『黙認』などと言い切ってはくれたものの、実はまだまだ、気持ちに踏ん切りがついていないようだ。小屋の中では今もなお、一生懸命に律子の水浴断念を説得している真っ最中。その気持ち、孝治にもわからないモノではなかった。

 

『秀正くんって、なんだかんだ言うたかて孝治んことも奥さんのことも、心ん奥から信用してないんやろっか? 自分だって浮気の虫んくせに、律子ちゃんが浮気するなんち思いよんやろうっち、あたし思うっちゃけど♠』

 

 そんな風で、川辺でつぶやく涼子に影響され、孝治もなんだか、不埒な考えへと陥りそうになった。

 

「まさかっちゃねぇ……☁」

 

「涼子、そげんこつ言うもんやなかっちゃよ⛔ 孝治かて、親友の奥さんに手ぇ出したりせんちゃよねぇ✄」

 

「う〜〜ん……☁」

 

 涼子を諌めてくれた友美が、返す刀で孝治にも尋ね返した。しかしこればかりは、自信にあふれた返事を戻せない心境に、現在の孝治はあった。

 

「お待たせ♡」

 

「うわっち!」

 

 なんだかんだと孝治たちの問答中に、とうとう律子ご本人の登場。胸から下だけ川に浸かっていた孝治は、大慌てで肩までジャブッと水に潜り込んだ。その点友美は、慌てる場面はなし。

 

「律子ちゃん、遅かったちゃねぇ♡ 秀正くんはもうええと?」

 

 ふつうに律子を迎えるだけで、自分の裸も気にしていないご様子。反対に孝治は、もやもやとした考え事に集中していたので、けっきょく水浴の切り上げも急げなかったわけ。それなのに、月明かりに照らし出された律子の表情が、孝治にはなぜだか、とても明るい感じに見えていた。

 

 だが問題は、そのような状況ではなかった。

 

「ごめんなさいね♡ ヒデがしつこいもんやけ、こげん時間がかかってしもうて♡」

 

「そりゃ親友とはいえ、別の男……元男といっしょに水浴なんやけぇ……そげなんでよう、秀正が承知したもんばいねぇ……あれ?」

 

 孝治も思わず愚痴るとおり、現在女性とはいえ、元男性だった過去を知り尽くしているはずなのに、実にあっけらかんと混浴的水浴をためらわない律子。孝治はそんな彼女に困惑を覚えつつ、また新たな困惑を付け加える気持ちになった。その理由は遅れて参上した律子が、いったい旅の手荷物のどこに収納していたのやら。緑色のビキニ姿でいたからだ。

 

「な、なんね! そん水着ば! 自分ばっかズルかっちゃよ♨」

 

 ある意味、最高と最悪が混同したような覚悟をしていた孝治であった。ところがこの事態(律子の水着での登場)は、孝治にとっては大きな肩透かし。心の準備を違うかたちに置き換えられた孝治は、バシャッと水面から立ち上がり、裏返った声でわめき立てた。

 

 もはや自分の胸――だけではなく全身を堂々と、律子に見せつける格好で。


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