前のページへ     トップに戻る     次のページへ


『剣遊記]』

第三章 渡る世間は敵ばかり。

     (14)

「前に孝治には言うちょったんやけど、衛兵隊の井堀に調べてもろうた話によれば、有混事は今、岡山県の教会で司教の地位に納まっちょうらしいばい☢ 大した出世っちゃね……人ん女房ば不幸のどん底にしちょってからにぃ☠」

 

 などと秀正が吐き捨てている所は、あしたにでも岡山県の北部、津山市街に入ろうかと言える、街道の途中。とある山の中の、小規模な丸木小屋。

 

 旅の野宿や休憩所として、日本の山中のあちらこちらに、このような無料で利用できる小屋が建てられていた。しかし何分にも規模が小型で、大人数が入ればすぐに満員となるところが、泣くに泣けない玉に瑕とも言える場所でもあった。

 

 でもって現在、小屋の利用者は秀正と律子、祭子の親子三人。これに可奈と美香。孝治と友美と涼子。おまけで荒生田までが加わって、総勢で九人。祭子はまだまだ赤ん坊であるし、ついでに涼子は質量の無い幽霊であるから、とりあえずは問題外(?)。それでも七人がせまい小屋の中で、ぎゅうぎゅうとひしめき合っている状況に変わりはなかった。

 

 これが理由でもないだろうが、可奈と美香は近くで小川さ見つけたずらとか言って、ふたりでさっさと水浴に出かけていた。

 

 ここで話は戻る。

 

「で、そげな野郎ば多少痛めつけたところで、素直に律子ちゃんにかけた呪いば、きちんと解いてくれるんやろっかねぇ?」

 

 小屋に常設されている囲炉裏に薪を並べて火を焚きながら、孝治は秀正に尋ねてみた。ところが孝治の問いに答えた者は秀正ではなく、自信が過剰気味満々の様子でいる荒生田。

 

「ゆおーーっし! 痛めつけることやったら、こんオレに任せんしゃい✌ この先輩様が、見事に解決してやるっちゃけねぇ✌✌」

 

 荒生田はすでに、敵のひとりをおのれの手柄によって陥落させているので、本番でも同じ大活躍をするつもりでいるらしい。

 

「はあ……そうですか……☁」

 

 それなりにテンションの上がっていた孝治は、これで一気にゲンナリの気分となった。

 

 この一方で、小屋の隅っこで祭子を寝かしつけている最中の律子に友美がそっと寄り、静かに話しかけていた。

 

「ねえ、律子ちゃんは今、昔の敵ば前にして、どげな気持ちでおると?」

 

 友美の問いに律子は、娘の寝顔を見つめたまま、やはり静かな口調で返していた。

 

「わたし……それがわからんとよ☁ わたしと祭子ばこげな体にした憎い男んはずやっちゅうとに、殺したいほどの憎悪がなかなか湧かんと☂ できればそん男の顔ば一生見らんで済めば、それで良かったんかもしれんっちゅうのにねぇ……☃」

 

 律子の友美への返事は、なんとなく要領を得ない感じのものだった。

 

『ふぅ〜ん、なんが言いたいんかようわからんちゃけどぉ……そげなもんやろっかねぇ〜〜♀♂』

 

 横で友美と律子の会話を見ていた涼子の、これまた妙に思わせぶりな態度。これがなんとなくの気持ちで話を聞いていた孝治の興味を惹いた。

 

 孝治は周りに気づかれないよう、そっと小声で涼子に訊いた。

 

「いったいなんが『ふぅ〜ん?』なんけ? 涼子はなんかわかるとや?」

 

 涼子の存在は、もう何度も記しているが、自分と友美以外には誰にも内緒。幸い荒生田は、ここに来る途中の町で買った地元の濁酒{どぶろく}で、舌鼓を始めたばかり。また秀正と律子は、寝ている祭子にかかりっきり。三人とも、話を一応終えたので、それぞれ思い思いの行動に移ったようだ。おまけに可奈と美香が外出中なのは、これまた前記のとおり。従って今ならば、幽霊涼子の存在がバレる恐れはないだろう。

 

 その状況を再認識した孝治は、改めて涼子に尋ねてみた。

 

「もう一回おんなじことば訊くっちゃけね☞ いったい涼子は、なんかわかっちょうとや?」

 

 しかし涼子は『ふふん♥』と、孝治に横目を向けるだけ。はっきりと申して、かなり癪に障る態度。つまりが歯がゆい状態。だけどもここで、怒声を張り上げるわけにもいかないのだ。

 

「こん野郎ぉ……♨」

 

 ここはぐっと、我慢のしどころであろう。

 

「それって、わたしも訊きたかっちゃねぇ☀♐」

 

 そこへどうやら友美も、孝治と涼子のやり取りを聞きつけたらしい。律子から離れて、こちらの会話に参加してきた。

 

『ちょっと待って♠』

 

 涼子はそんな孝治と友美を前にして、しばらくなにかを考えるかのようにして、両腕を組むだけの態度でいた。だけど、このあと出した彼女の結論は、実に腰砕けそのものだった。

 

『ごめんっちゃね♠ 確かにあたしが言いたいことはあるっちゃけどぉ……今は言わんほうがええみたいな気がするんよねぇ♘ 律子ちゃんのためにも……それからおまけで孝治んためにも……やね✄』

 

「なんねそれ?」

 

「ほんなこつ、思わせぶりっちゃねぇ♨」

 

 けっきょく説明責任を果たしてくれない涼子に、孝治と友美は、瞳が丸くなる思い。

 

そんなところだった。水浴に出ていた可奈と美香が、そろって小屋に戻ってきた。


前のページへ     トップに戻る     次のページへ


(C)2014 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved.

 

inserted by FC2 system