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『剣遊記]』

第三章 渡る世間は敵ばかり。

     (11)

 岡山県北部に津山{つやま}と言う名の城下町がある。

 

 その郊外、石造りとなっている西洋風の城の中庭で、領主の蟻連{ありれん}伯爵が、おのれの自慢としている弓矢の腕の披露に熱中をしていた。

 

 いわゆる正面にある霞的を射抜く弓術である。

 

 そこで領主の放った矢が狙い違わず、ビュンッ バシッと、標的である丸い輪の中心に、見事命中。中庭で顔をそろえる家臣や侍従。さらには招待客たちの間からパチパチパチパチと、盛大な拍手👏が湧き起こる。

 

 その中でも特に目立つ、白い法衣を着た男――県都岡山市からはるばる来訪してきた司教の有混事が伯爵に向け、これまた歯が浮くようなお世辞――いや、賛辞を並べたてた。

 

「見事でございます、伯爵殿♡ 次なる岡山での弓の大会では、必ずや上位を召されることでございましょうや♡」

 

 しかし司教ほどの地位にある人物がおのれの足元にひざまずき、さらに誉め称えてくれていると言うのに、当の蟻連伯爵には、まったく笑みがなかった。それどころか酷薄そうな表情を少しも変えようとはせず、逆に視線の先を霞的に向けたまま。弓を構える姿勢も変えないままで、有混事に問い返すだけでいた。

 

「口先だけのそげーな世辞はええけんのー☹ そげーより例の件、現在どこまで進んどるんけー♐」

 

 だがこれも、有混事にとってはとっくに承知のうえの態度であった。

 

「伯爵殿……お耳を拝借♡」

 

 この場でゆっくり立ち上がると、有混事は蟻連の右耳にそっと自分の口を寄せ、小さな声でささやきかけた。

 

「県行政長官への貢ぎ物の件、万事この有混事にお任せあれ♡ 長官への山吹色の菓子箱も、すでに送付済みにてございますゆえ♡ まずは長官殿が昇進なされば、おのずと伯爵殿も県都……いえ、日本の御国の中央政界、それとも東西ともに兼ねたトップの座に凱旋される日も、そう遠きではなきことと思われまする♡」

 

「くくっ♥ そげーけ♥」

 

 このとき初めて、蟻連の口元にも、満足そうな笑みが浮かび上がった。ところで有混事が言うところの現役行政長官も、実は本日の催し事に招待をしていた。それもたった今、おのれの弓の技を披露したばかり。招待している近隣の貴族たちの中で、ひと際高い席に着かせている白いアゴ髭の人物が、その長官なのだ。そのためか蟻連は、周辺への気配りを忘れないようにしながらも、有混事には威厳を見せつけるように、胸を張りながらでささやいた。

 

「だがわしは、東だの西だのと言ったせまい範囲で終わるつもりはねーけんのー☻ 有混事、その辺はお主も心得ておろうけのー☞」

 

「もちろん、御意にてございます✌」

 

 再び伯爵の前で深くひざまずきながらも、司教は内心でほくそ笑んだ。

 

(我が夢の達成も、間近のことよのぉ♡♥♡)

 

 おのれ自身が憧れである大司教の地位を狙う者として、同じような野望を抱く者と手を組むやり方が、一番効果的で、しかも成功率が非常に高い。

 

 九州からの栄転なのか、それとも左遷であるのか。今もってはっきりとしない立場で岡山県へ転任してきた有混事であった。ところがこの地でやはり、野心に満ちた男――蟻連伯爵と出会えた僥倖は、彼の人生において、大きな幸運と言えるだろう。

 

 こうなれば心身ともに一蓮托生。地獄の底までもお伴をいたします――今の有混事は、そんな心持ちですらあった。


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