『剣遊記T』 第六章 我、危険地帯に突入せり。〜霧島山の大決闘〜 (10) 実はこのとき、孝治は不覚にも、瞳を閉じていた。それでも剣を頭上で構える体勢だけは、なんとかして貫いてもいた。これはやがて襲ってくるであろう、敵方の剣の一閃を待っての、言わばヤケクソ的な行動であった。
そこへ戦いの最中に、大事な剣が地面に落ちる音。
「うわっち?」
孝治は恐る恐るの思いで、瞳をそっと開いてみた。その次に開いたモノは、自分の大きな口だった。
「うわっちぃーーっ!」
『きゃあ! なんねこれぇーーっ!』
孝治だけではなく、幽霊の涼子までが派手に驚いていた。その理由は騎士のひとりが地面でのたを打ち、もがき苦しんでいたからだ。
恐らくこいつが、孝治に斬りかかろうとしていたのであろう。ところが逆に、右腕の肘{ひじ}のところを矢に射抜かれ、今や七転八倒の有様となっていた。
「痛えっ! 痛えっちゃよぉーー!」
泣き叫ぶ元気があるので、命に別状はなさそうだ。もちろん孝治自身は、茫然自失の状態。
「こ、これって……ど、どげんなっとうとや?」
このように隙だらけとなっいるにも関わらず、安心して呆けていられる(?)理由は、周りの騎士たちも、孝治と同じ状態になっているからだ。
「お、おい……大丈夫け?」
「大丈夫やなかやろ!」
「どっから矢が飛んできたとや?」
彼らは口々に、ひと目で見てわかる状態を、ただ間抜けにつぶやくだけだった。
「い、いったい……どげんなっとうとや?」
孝治もそんな騎士たちからやや離れて、現場の状態を眺めていた。ようやく呆けていた頭が、自分でもよくわかるほどに、正気を取り戻してきたみたいだった。
その問題の発端である矢は、被害者の右腕にうしろから突き刺さっていた。この状況を見れば恐らく矢を射った者は、後方にいるに違いない。それを証明するかのようだった。矢が飛んできたらしい方角から、馬の蹄{ひづめ}の音が、ドドドドッと響いてきた。
さらに野性的で野太く、孝治にとって聞き覚えのある声が、周辺一帯に木霊した。
「孝治ぃーーっ! 無事けぇーーっ! 加勢に来てやったばぁーーい!」
「うわっち! 帆柱先ぱぁーーい!」
孝治はすぐに、この場で身長の三倍近くまで飛び上がった。孝治と同じ未来亭の先輩戦士――帆柱正晃{ほばしら まさあき}が参上したのだ。
それも唐突に――ではない。黒崎店長の話では、帆柱は他での仕事が、近く終了。もうすぐ未来亭に帰ってくる予定は、孝治も出発前に知っていた。
その帆柱先輩が、両手で弓を構え、馬の健脚で埃だらけの山道を駆け上がってきたのである。
だけど帆柱は、馬に跨っているわけではなかった。それどころか、馬に乗る必要もない――と言うよりも乗れない。
『うわぁ! あたし初めて見たぁ!』
涼子が瞳を大きく開き、もろ驚きの顔を表現していた。幽霊も初めて見てビックリするとおり、帆柱は格段に変わった格好をしているのだ。
早い話(これも多い)、帆柱先輩の下半身は、見事なるサラブレッド。馬の体形から頭部を外し、代わりに人間の上半身を備え付けた、その姿。
帆柱はケンタウロス{半馬人}と呼称される種族の戦士なのである。 (C)2010 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |