前のページへ     トップに戻る     次のページへ


『剣遊記閑話休題編U』

第二章 黒川温泉、陰謀の桃源郷。

     (5)

 最初に一回見ているのだが、彩乃のために用意をされた部屋は、それほど高級と言えるほどのモノではなかった。だけれど、窓からの眺めは、これはこれでかなりの絶品ものであった。

 

「どぎゃんです? 気に入っていただけましたか?」

 

「え、ええ、もちろんです♡」

 

 おまけに部屋まで同伴をしてくれた者が、憧れの祐一なのだ。これでは半分陶酔状態の彩乃に、文句などあろうはずもなし。

 

「最高ばい……いや、です♡ それで……✌」

 

「それは良かった☺ それで、まだなにかご希望でも?」

 

 祐一がふいに正面から見つめたので、彩乃は思わず『あわわ♥』の心境となった。

 

「あっ! い、いえ……なんでんなか……です……はい♡」

 

 本心では彩乃は、実は次のようなセリフを言いたかった。

 

(いじきたなかもしれんばってん、できれば祐一さんもいっしょんおってくれたらやねぇ……♡)

 

「では、僕はこれで✋」

 

 吸血乙女の白日夢の間に、当の祐一が、あっさりと部屋から退出した。

 

「……もう! 祐一さんたらぁ、簡単にあいば(長崎弁で『さようなら』)はなかろうもぉ☂」

 

 部屋にひとり残された彩乃は、とてもヴァンパイアとは思えない仕草で、可愛い娘ぶって体をクネクネとさせた。

 

 これでは本家東ヨーロッパの某伯爵が、草場の陰の棺桶で嘆いているに違いない。

 

「さてと☆」

 

 可愛い娘ぶりっコはこのぐらいにして、彩乃は次の予定を模索した。

 

 出張休暇はたっぷりと頂いてあるし、自分自身もそのつもり――とは言え、自由に羽根を伸ばせる(コウモリの羽根とは意味が違う)と思われがちな単独旅行も、やり方を誤れば案外、退屈でつまらないただの時間潰しになってしまうもの。

 

「せめて祐一さんが、こん町の観光案内ばしてくれたらやねぇ……☁」

 

 そんな風で、窓辺にもたれてため息を吐く彩乃の脳裏に、祐一の優しそうな笑顔が浮かんだ。ところが間髪を入れず、祐二のいやらしいニタリ顔までが、脳内にしゃしゃり出た。

 

 思わず彩乃は、頭を横にブルッと振った。

 

「な、なして、わたしっちあげなやつん顔まで思い出しちゃうとぉ☠☠」

 

 自分自身のつまらない回想に腹を立て、彩乃はこれまた、自分で自分の頭をポカポカと叩いた。おまけにふたりの容姿が合わせ鏡のように似ていることが、やっぱりと言うか、非常にもって腹立たしかった。

 

 そんなときだった。

 

「きゃっ!」

 

 窓から外の景色を眺めていた彩乃の前に、階上から何本もの棒の束が、ヒューッドサドサッッと落ちてきた。

 

 いや、これらの棒はすべてヒモで結ばれ、上の階から吊るされたかたちとなっていた。

 

 その数、おおよそ二十本くらい。

 

「……なんね、これ……?」

 

 一応の礼儀として驚いて差し上げたものの、その棒は全部、彩乃のよく知る形状をしていた。

 

 二十本が二十本。全部が全部。長めである木の棒に、直角のかたちでもう一本。短めの棒が、小さな釘で打ち付けられていた。

 

 ところがそれを見る彩乃は、気分がなんだかシラケ気味となった。

 

「これっち……わたしばたいがいぶりに馬鹿にしとんやろっか?」

 

 驚いたそのすぐあと、彩乃の胸に、今度は怒りの感情が込み上がった。なぜならぶら下がっている木の棒がすべて、いわゆる『十字架』と呼称されている物体の形状をしていたからだ。

 

「あいがほんなこつやったか、それは知らんとばってん……♨」

 

 本当は心当たり大有りなのだが、ここではあえて、名前を伏せておく。

 

「どがんしてヴァンパイアが今ん時代になって、十字架なんち怖がらんといけんとねぇ♨ そげなつまらん迷信ば、いまだに信じとうっちことぉ♨」


前のページへ     トップに戻る     次のページへ


(C)2014 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved.

 

inserted by FC2 system