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『剣遊記閑話休題編U』

第二章 黒川温泉、陰謀の桃源郷。

     (2)

 突然背後から聞こえた、遠慮などまるで関係なしの濁声{だみごえ}。彩乃は慌てて、展望台でしゃがみ込んだ。

 

 なんと言っても、彩乃は現在、丸裸の状態。それでも手近に都合良く用意していたバスタオルを、急いで体に巻きつけた。それから恐る恐る、うしろに振り返った。

 

「こん出歯亀ぇ! なしてわがここにおるとねぇ!」

 

 案の定である、祐二の御登場だった。温泉と風景に満喫し過ぎていたためか、彩乃は背後に、まったくの無警戒となっていた。いや、もともと初対面のときも、なんの気配も感じさせずに現われた。この男、もしかしたら忍びの術でも、身に付けているのだろうか。

 

 それはとにかく、一瞬の間だけだったとはいえ、自分の裸を見られたのだ。この事態は彩乃にとって、まさに一世一代の大大衝撃! まあ唯一の救いは、見られた個所が背中とお尻だけ。これはもう、犬に噛まれたと思って、あきらめるしかない――と言ったところか。

 

 しかも湯船に参上したというのに、祐二は初お目見えしたときと同じ、まったくくだけた格好のまま。これでは明らかに、彩乃の入浴シーンを覗きに来た――としか思えなかった。

 

 これではまさに、確信犯。カッとなった彩乃は、必死になってわめき立てた。

 

「い、今すぐ早よ出てってぇ! でないときゃーまぐるほど大声でとごえるけねぇ!」

 

 おまけに最悪中の最悪事態。彩乃のしゃがんでいる展望台は、湯船からかなり離れていた。今さら遅いが、すぐにお湯まで飛び込めなかった。それを見越してなのか。祐二のほうは、小生意気なほどに、余裕しゃくしゃくの構えでいた。

 

「へへへっ♡ 話は親父から聞いとうばい♥ ぬしゃヴァンパイアやそうけ、いっちょんいつもんよめご漁りんつもりでおうたら、逆にダゴにされるっちゅうてやね♡ やけん外見だけやったら、ふつうのよめごといっちょん変わらんばってんけどねぇ♥」

 

 彩乃はこれに、ハッタリで返した。

 

「そうばい! わたしがヴァンパイアっちゅうこつ、もう日本全国知らん人なんちおらんとばってん! おーちそれがわかっとったら、今すぐどっかば消えんしゃい! そがんせんと、ほんなこつ血ぃ吸うばい!」

 

 しかし彩乃は内心で、まったく正反対の考えでもって、毒づいてもいた。

 

(こがん外道の血なんち、死んだかて吸うてやらんとばってん!)

 

 これが聞こえたわけでもないだろう。しかし祐二は、まるで受け答えを返すような態度で、逆に彩乃を挑発してくれた。

 

「オイの血ぃば吸うたところで、ぬしゃがガネ(熊本弁で『蟹』)に当たるようなもんばい♥ それよかぬしゃ、ヴァンパイアやったらコウモリなんかに変身するんが得意なんやろうが☠ やけんさっさと飛んで帰るんやな☠ せからしかこつならんうち、黒川ん町からあえるみてえに消えちまいや♐」

 

「消えちまいや……っち?」

 

 こん人、なん言いようもん?――の思いになって、彩乃は祐二の顔を、ジッと見つめ直してやった。イケメンの祐一とウリふたつ顔は、もともとから納得が行かなかった。さらに加えて中身のほうは、とんでもないほどに正反対の真逆。そんな風に考えると、腹立ちがさらにグングンと、彩乃の腹の中で増幅された。

 

(なんかようわからんばってん、こげなえらかす野郎……ダゴにしちゃる!)

 

 ついに決心を固めた彩乃は、祐二に面と向かい、凛としたしゃべり方で言葉を返した。


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