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『剣遊記T』

第四章 旅の始まりは前途多難。

     (8)

「お、合馬ぁ!」

 

「しっ! 声が大きか!」

 

「うわっち……☠」

 

 友美が右手人差し指を口の前で立てたので、孝治も慌てて、自分の口を両手でふさいだ。

 

 後方の騎士の存在は、孝治も初めっからわかっていた。だが、そいつがまさか、あの合馬であったとは。さすがに夢にも思わなかった。

 

 しかし改めてよく見れば、そいつは間違いなく、黒い甲冑を着ていた。忘れたくても忘れられない、強烈な印象の姿であった。

 

「そ、そんとおりやねぇ……あんときの合馬やけん☠」

 

 孝治はツバをゴクリと飲みながら、震える口で友美にささやいた。友美も同じ様子でいた。

 

「ど、どげんしよ……わたしたち、城から勝手に黙って帰ったようなもんやけ、見つかったら暴力の嵐かも……半殺しやのうて全殺しやったりして……☠」

 

「そ、そげな恐ろしかこつ、言わんでよかろうも☠」

 

 友美の明らかな考えすぎであろうけど、孝治もそれを否定する気にはなれなかった。

 

 思えばあの騒動の夜、孝治と友美はあの合馬から、嫌々ながら女盗人の追跡を強要された。

 

 だけどもともと、無関係である孝治と友美に、命令をされる筋合いなどなし。知らん顔をして現場から、さっさとバイバイをした格好なのだ。

 

 予想もしなかった孝治の女性化が、ある意味で一番の要因ともいえるだろう。けれど、それがなかったとしても、話の成り行きは同じであったに違いない。

 

 つまりは初めっから、やる気などなかったのだ。

 

 だが、それらの経緯とはまた無関係に、合馬は女盗人の捜索を続け、各地を追跡していたようだ。

 

 それが羽柴公爵からの命令によるものなのか、部下を八人も連れている力の入れようである。合馬は捜査に本腰だと、身震いをする思いで孝治は考えた。

 

「あれからずっと、女盗人ば追い駆けよったっちゃねぇ☢ 大した執念ばい☁♋」

 

 そこへ事情を知らないであろう涼子が、遠目で合馬を見つめながらでささやいた。

 

『あいつらとなんがあったんか、あとで教えてもらうっちゃけど、孝治も友美ちゃんもほんなこつ、顔が真っ青になっとうっちゃよ♠』

 

 もっとも自分自身の顔の色など、孝治は言われなくても自覚済み。それよりも現状は、早く逃げるが勝ち――にあった。

 

「涼子はちょっと、静かにしちゃってや☃」

 

『静かにせんかて、あたしん声は聞こえんとやけど☀』

 

 友美と同じように、口元で右手人差し指を立てる孝治に、涼子がやや不機嫌な感じで突っ込んでくれた。もちろんそのツッコミに、付き合っている暇などなかった。

 

「あいつとなんがあったんかは、ほんなこつあとで教えちゃるけ✂ とにかくおれも友美も、あいつに顔ば見せんようにせんといけんのやけね☂」

 

「わたしもそれに賛成☂」

 

 ここで孝治と友美の意見が一致。足並みそろえてこっそりと、抜き足差し足忍び足で、未来亭から離れるようにした。

 

 合馬がこちらに気がつかないうちに。

 

 このとき孝治は、逆に気がついた。

 

「うわっち?」

 

なぜか美奈子と千秋までが同じような抜き足差し足忍び足で、孝治たちのあとからこっそりとついてくる様子に。

 

「み、美奈子さんはあいつらとは関係なかでしょう✐ やけん、歩き方までいっしょせんでよかですよ♣」

 

 孝治は再び変を感じたが、これに美奈子は、言い訳になっていない言い訳で答えてくれた。

 

「ま、まあ、妾{わらわ}はただ、先ほども申しましたとおり、あのような野蛮で下品な騎士の風上にも置けない輩が大嫌いなだけでおますさかい、逃げたくなるのも人情でおます♦」

 

「なんや……ようわからん人情なんですけどぉ……?」

 

 これではますます、孝治の疑心暗鬼の芽が、大きく成長するばかり。

 

「さ、早よ出発しまへんと、今晩の宿探しに苦労することになりますえ♦」

 

「師匠がこう言いよんやから、いちいちうるさいこと言わんでええんや! 今はグズグズしとう場合やあらへんのやさかい!」

 

 ついに無言だった千秋までが、ヒステリー気味に騒ぎ出す始末。これでは話が一層謎めき、展開がややこしくなるばかり――というものだ。

 

 それでも状況は、美奈子と千秋の言うとおりだった。グズグズする暇がないほど事態が悪化する様相が、はっきりと目に見えていた。

 

「わ、わかりました……とにかく行きますっちゃよ♘」

 

 ようやく孝治は旅の第一歩を、ややカッコ悪い格好で、踏み出す破目となった。そこでまた友美が孝治の背中をチョンチョンと、なんだか水を差すように指でつついてくれた。

 

「うわっち……な、なんね、友美も早よ行くっちゃよ✈ さっき賛成したろうも☛☛」

 

 半分腹立ち混じりで、孝治はうしろに振り返った。この期に及んでなんね――の思いにもなったので。

 

 次の瞬間、孝治はこの場で、身長の二倍近くまで飛び上がった。

 

「うわっち!」

 

「わ、わたしたち……まだまだ出発できんみたいっちゃねぇ……☠」

 

 青い顔をしている友美はなんと、右手の手首をしっかりと握られていた。

 

 黒い法衣姿の男によって。


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