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『剣遊記T』

第四章 旅の始まりは前途多難。

     (4)

 けっきょく孝治は、路銀の増額交渉に敗北した格好。毎度の恒例行事ではあるけれど。

 

「いつかこげなケチな店からは自立せな、いけんっちゃろうねぇ☠」

 

 現実、自立どころではない身の上は、百も承知。孝治は腹立たしいムカムカ気分のまま、階段を早足で駆け下りた。

 

 開店準備の真っ只中である酒場を通り抜け、店の入り口から外へと出れば、そこでは千秋がロバ――だと思われる動物の背中に、荷物を載せている最中だった。

 

「よっ、おはよ!」

 

 声をかけると、千秋がすぐに振り向いてくれた。

 

「あっと、儲かりまっか……やあらへん、おはよっさんやで!」

 

 また、先に行かせていた友美と涼子も、やはり正面で孝治を待っていた。しかし美奈子の姿だけは、なぜか見えなかった。

 

「どげんやったね、路銀のほうは☻」

 

 友美が早速、交渉の成果を訊いてきた。孝治は頭を横に振ってやった。

 

「駄目やったっちゃねぇ☢ いつもんことやけど☠」

 

「あ、そうね☻」

 

 これもいつものごとくである。友美の期待は、『増えればめっけもん♡』程度だったよう。口振りに、それほどの落胆は入っていないので。

 

「まあ、よかっちゃよ☕ 経費の節約やったら、もう慣れとうとやけ♥」

 

 友美は割と、さっぱりとした顔をしていた。だけど涼子が小憎らしくも、孝治と友美の背中を、うしろからポンと叩いた――つもりをしてくれた。

 

『こげんなったらふたりとも、野宿んとき風邪ば引かんよう気ぃつけるっちゃよ♡』 

 

もちろん幽体なので、感触もなにもなし。ついでに幽霊は、風邪の心配など要らない。まさしく病気もなんにも無い――である。

 

「こん前から変やったけど、あんたらふたりで、なんコチャコチャ言うとんのや?」

 

「うわっち!」

 

 涼子の姿が見えていないであろう千秋が、これまた冷やかな目線で、孝治と友美を見つめていた。それもなんだか、不思議な未確認生物でも見るような感じで。

 

(まずかっちゃよ! また変に思われてしもうたばい☠)

 

 孝治はまたも、涼子の存在をごまかすため、本日もわざとらしく、話題をそらす策に出た。幸い話の方向転換の対象としてふさわしいモノが、そばにいた。

 

「あれぇ? そんロバ……ロバよねぇ……それって、千秋ちゃんの家畜やったと?」

 

 もっとも、話題をそらす前から、ロバは孝治の関心の対象となっていた。

 

 おととい耶馬渓から帰ったとき、ロバはすでに繋留所の中にいた。そのとき孝治は、ふつうに見かけるロバとは、どこか毛並みが違っている印象を感じていた。

 

「なんねぇ、それやったらあんときから、美奈子さんと千秋ちゃんは、もう未来亭に来とったんやねぇ♫」

 

 今にして思えばなるほどと、孝治は考えた。さらに旅のお伴としてロバを使う方法も、よくある話だと理解した。

 

 一般的に旅の乗用動物といえば、まずは馬が主流であろう(他に貨物専用の牛車もある)。だけど、美奈子と千秋の師弟のように女性が扱う場合は、馬よりもロバのほうがふさわしい――といえるだろう。その理由は馬に比べれば性格がおとなしく、女の子の手綱さばきにも従順であるからだ。

 

 孝治はロバの背中を右手で撫でながら、軽い気持ちでささやいた。するとロバが小声で「ぶるるっ」と鳴き、それこそ撫でられてうれしいかのように、孝治の体に鼻先をすり寄せてきた。

 

 孝治もこれには、満更でもない思い。自然と笑みが浮かぶ気分になってきた。

 

「ほんなこつ人なつっこいロバっちゃねぇ♡ それにロバでの旅っちゅうのも、考えたもんやねぇ☆ 千秋ちゃん、ほんなこつロバの扱いがうまいっちゃけぇ♡」

 

「なに言うてけつかるねん☢ これはただのロバとはちゃうんやで♣」

 

「うわっち?」

 

 千秋の予想外な返答で、孝治はまたも、瞳が点の思いとなった。ついでにロバを撫でる右手も、ピタリと止まった。

 

 このような絶句状態となった孝治に、千秋がツンとした顔付きで、ただのロバじゃないという動物の頭を、右手でビシッと指差した。

 

「よう頭んとこ見てみい☞ が生えとうやろ♐」

 

「つ、角けぇ? ……うわっち!」

 

 孝治は見た。言われてよく見れば確かに、ロバ(?)の頭部――額の所に、ネジ巻き状の小さな角らしき物体が、控えめな感じで毛と毛の間から突き出ていた。

 

「うわっち!」

 

 孝治は繰り返し、驚きの声を上げた。

 

 毛並みが変な感じだとは、確かに思っていた。具体的には灰色の体毛の所々に、白がまだらの状態で散りばめられている模様のあり方。ところがまさか、角まで生えていようとは、夢にも考えてはいなかった。

 

「ほ、ほんなこつ、角があるぅ!」

 

「それって、ほんとけぇ?」

 

『うわぁ! おもしろかぁ☀』

 

 驚きの孝治のうしろから、友美と涼子も野次馬みたいに寄ってきた。角が話題に上るまで、このふたりもふつうのロバだと思っていたようだ。

 

 しかし角とは言っても、その大きさは人の親指程度。先端は丸まった形状をしていた。

 

 これは現在のところ、成長途上の角と言えそうだ。

 

「どや、ビックリ仰山もんやろ♡」

 

 戦士の度肝を見事抜いてやったと言わんばかり、千秋が得意満面な顔をとなって、右手の人差し指で鼻の下をこすっていた。

 

 実際、とても珍しい逸品を見せられたとあって、孝治も心底からの白旗気分になっていた。

 

「いや、参った☺ これはほんなこつ降参もんやねぇ♥」

 

『角が生えとうっち、これってユニコーン{一角馬}やなかろっか?』

 

 降参して両手を上げている孝治の左横では、角付きロバを一生懸命に眺めている涼子が、興味しんしんの感じでささやいていた。もちろん今の声は、千秋には聞こえていない――と思われるし、孝治も涼子には振り向かないようにした。だろう。先日とたった今の失敗の二の舞は、もう御免でもある。

 

「ユニコーンけ?」

 

 涼子の秘密の件はともかくとして、幽霊少女のささやきを、孝治は無意識に口で反復した。友美も千秋に気をつかう感じで、改めてロバに注目していた。

 

「ユニコーンねぇ……でも、これってどげんして見たかて、一応はロバなんやけど?」

 

 そこへ千秋が角付きロバの角を左手でいじくり回しながら、自慢げに説明を始めてくれた。別に誰も頼んでいないのだが。

 

「確かにあんたらが言うとおり、これは早い話、ロバとユニコーンの合いの子やねんな⚢⚣」

 

「「合いの子ぉ?」」

 

 ここで再び、孝治と友美の声が重複した。ついでに孝治は、もうひと言付け加えた。

 

「じゃ、じゃあ、ロバとユニコーンの合いの子やけ、これは新種で『ロバコーン』ってとこやろっか? 我ながら安直とは思うとっちゃけどね♥」

 

 孝治の自覚済み子供的発想は、千秋から簡単に却下された。

 

「そんなダッサイ名前、付けへんでもええで⛔ この子の名前はちゃんと、『トラ』って付けとんのやさかい✐ それよかネーちゃんも気ぃつけてや⚠ ネーちゃんはトラから気に入られたみたいやからええとして、こいつは絶対、ヤロー連中からさわられんようにしといてや⛔✋」

 

「うわっち? なして?」

 

 思わず頭上に『?』を浮かべた孝治の右耳に、友美がそっとささやいた。

 

「孝治かて、聞いたことあるやろ✍ ユニコーンにさわれる人は女の人の処女だけで、男がさわったら角が落っこちてしまうって✄⚠」

 

「うわっち! おれって……もしかして……♋」

 

 このとき孝治は、改めておのれを自覚した。自分が性転換して女性になったと同時に、処女でもあるという事実を。

 

 無意識での行為だったとは言え、孝治は軽い気持ちで、ロバとの合いの子であるユニコーンにさわりまくっていた。しかし、これがもし性転換以前――あるいは男とやっちゃったあとであれば……。

 

 孝治は戦慄のあまり、体がブルブルと震えだした。背中には先ほどから冷たいなにかが、雪崩{なだれ}のように斜面をすべっていた。

 

(お、おれは……男なんかとずえったいに寝らんけね! 一生、処女ば守っちゃる!✊)

 

 そんな思いである自分自身をごまかすかのようにして、孝治はまた、別方面で千秋に訊いてみた。

 

「ユ、ユニコーンっちゅうこつはようわかったけ……ついでに『トラ』っちゅう、名前の由来ば教えてくれんね✎ な、なんか、由緒正しい理由でもあるとや?」

 

「なんや、名前まで気になるんかい☻」

 

(なんか、いちいちムカつくっちゃねぇ♨)

 

 などと孝治を内心で立腹させてくれたが、千秋は一応、きちんと答えてくれた。

 

「特に深い理由なんかないで☻ まあ関西人は昔っからみんな虎好きやさかい、千秋もこれにトラっちゅう名前付けたんや☺✌」

 

「あ……なんとなく納得……♋」

 

 孝治はこれにて、質問を終了させた。ついでだけど、つまらないと自分でも思うような、もうひと言も付け加えた。

 

「そげな理由でええとやったら、おれがロバば飼う立場になったら、それに『タカ』っちゅう名前ば付けるやろうねぇ〜〜♋ 関西人が虎好きっちゅうとやったら、九州人は鷹{たか}好きやけ✌ 別に対抗するわけでもなかっちゃけどね☻☺」

 

 そんな孝治にユニコーンとの合いの子ロバ――トラがまた鼻先を寄せ、すりすりと愛撫をしてくれた。千秋が言うとおり、トラは本当に孝治を気に入ってくれたようである。


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