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『剣遊記T』

第四章 旅の始まりは前途多難。

     (3)

「店長、入ります⛐」

 

 黒崎が在室中なのはわかっていた。しかしそこは、親しき仲にも礼儀あり。きのうの無遠慮などケロリと忘れたことにして、きょうはきとんとノックを二回、コンコンと叩いてから、孝治は執務室のドアを開いた。

 

「まあ、孝治さん、こがんときばっかし、殊勝な態度ばってんねぇ☠」

 

 出迎えてくれた秘書の勝美から、早速軽いトゲをひと言いただいた。彼女はすでに、なにもかもお見通しのようである。

 

「お、おはようございます……☻」

 

孝治は勝美に、小さな苦笑いを返してやった。なにしろこれからの交渉に、旅の費用の金額がかかっているのだから、一切の無礼は禁物なのだ。

 

 もちろん部屋にはいつもどおり、黒崎が待っていた。

 

「おはよう、今回の仕事もよろしく頼むがや」

 

 さらに彼が席についている机の上には、恐らく硬貨が入っていると思われる牛皮袋を、きちんと用意をされていた。

 

「このとおり、袋の中には小金貨が三枚入っとうがや。鹿児島までの行程だったら、このぐらいで充分だがね」

 

 ※剣遊記世界での貨幣(硬貨)の単位。

  小銅貨一枚=五円。 大銅貨一枚=十円。

  小銀貨一枚=百円。 大銀貨一枚=千円。

  小金貨一枚=一万円。 大金貨一枚=十万円。

  白金{プラチナ}貨一枚=一千万円。

 

 一応口ではニコやか調であっても、孝治に袋を差し出す黒崎は、相変わらずの澄まし顔でいた。

 

しかし孝治は、内心で不満が、破裂寸前までに溜まっていた。

 

「たった三枚ですかぁ? また節約に節約ば重ねんといけんじゃなかですか☂ 角燈{ランタン}の燃料代かて馬鹿にならんとですよ☃ たまにはドカンと小金貨を十枚くらい、ドンとくれたらどげんです? 大金貨一枚だけでもよかですけ⛥ とにかく小金貨三枚だけやったら、三流の簡易宿泊所に泊まるか野宿せな、いっぺんに足が出るとですよ☠」

 

腹でくすぶっていた文句を並べ立て、孝治は小金貨が三枚だけ入っている袋を、当てつけのつもりでジャラジャラと右手で持って振り回した。

 

「まっ、贅沢ば言いよるばいねぇ⚠」

 

 勝美から今度は、呆れ気分らしい瞳を向けられた。この一方で肝心の黒崎の目は、まっすぐに孝治を見つめていた。

 

(また、いつもの目線ばいねぇ☠)

 

 孝治は黒崎が次に言うセリフが、だいたいにおいて読めていた。思ったとおり、すぐだった。黒崎が小言を始めてくれた。

 

「きのうも言ったと思うが、冒険者の本分は、戦闘や護衛活動にあるものだがや。それが金額うんぬんで文句を言い出したら、それこそ戦士の廃業に繋がるがね。まあ、確かに命懸けの代償は必要だが、それは依頼人が決めることだがね」

 

「そ、それは、ですねぇ……☂」

 

 戦士の本質を追究する話まで持ってこられては、孝治はまるで弱かった。戦士の学校で、散々に叩き込まれたことでもあるし。

 

「ま、まあ、今さら他で生きる道もなかっちゃけ、戦士ば続けるしかないとやけどぉ……☁」

 

 いつものパターンであるが、舌戦にもつれ込まれたら、孝治は黒崎に勝てる見込みなど、まったくなし。そこで孝治は友美の得意技にならって、話の方向性を変える作戦に出た。

 

「でも、今回の依頼人の天籟寺美奈子さんやけど、けっこう育ちが良さそうな感じですっちゃよ♠ それなんに守るほうが貧乏臭かったら、それこそ未来亭の面子に関わる話じゃなかですか?」

 

 要するに、客の品位に合わせて、金額を上げてもらう魂胆。あまり良質の作戦とは言えないが、ここで小さな反応があった。

 

「確かにあの品位は、僕も一目置いとうがや」

 

 黒崎が下アゴに右手を当て、なにやら考える素振りを始めた。ヒゲが綺麗さっぱりに剃られていて、いかにも美肌そうである下アゴに。

 

どうやら孝治のセリフに一部、同調している感じがあり。さらに続いて両手を組み直し、思考を巡らせているようでもあった。

 

(やったばい! これなら話がうまく行ったりして✌)

 

 滅多に見られない黒崎の考え中😑姿に、孝治は内心で、ニヤリと微笑んだ。それから思ったとおり、黒崎が両手をポンッと打った。これはなにかを決めたときによく見られる、黒崎のいつもの癖なのだ。

 

「よっしゃ、こうするがや。小金貨が三枚だけだから、見るからに貧乏臭く感じるわけなんだろう」

 

「そ、そんとおり!」

 

 孝治は思わず声を高ぶらせた。

 

「店長、そげな甘かことでよかですか?」

 

 勝美が『異議あり✋』の声を上げているが、孝治のほうはもはや、有頂天の極み。もしかしたら本当に、これが路銀の増額に繋がるかもしれないから。

 

 孝治の胸は当然、期待で大きくふくらんだ。本物のふくらみとは、まったく無関係の話で。

 

(これで多少でも路銀が増えれば、ちょっとした贅沢ができるってもんやねぇ☀ いつも倹約ばっか要求されよったけ宿代が足りんで、皿洗いまでしたこともあったし……☁)

 

「ちょっとこっちに袋を渡すがや」

 

「は、はい!」

 

 孝治は黒崎から言われるがまま、右手に持っていた牛皮袋を、すなおにヒョイと手渡した。このあと孝治の胸ワクワク中に、黒崎が部屋の奥にある金庫の扉を開いていた。

 

 魔術を使っても簡単に開かない、特別製の大型金庫を。

 

 黒崎は開いた金庫の前でしゃがみ込み、孝治から受け取った袋に、なにやら硬貨をジャラジャラと入れ替えている様子。これではますます、期待が大きくなる――というものだ。

 

「店長、なんか悪かですねぇ☆ なんかわがままばっかし言うてしもうて♡」

 

 声のトーンが上がっている状態を、孝治自身も自覚した。

 

「ほんなこつ、がばいわがままなんやけ♥」

 

 孝治の頭上では、勝美が見下ろす感じで、孝治を冷やかに見つめていた。そんな孝治と勝美を背中にしたまま、黒崎がいつもの淡々口調でささやいた。

 

「いや、僕こそ孝治たちの実情を、充分に理解してなかったようだがね。戦士にも見栄を張りたい気持ちがある、ということをな」

 

 やがて金庫の扉を閉じ、黒崎が立ち上がった。その右手に持っている袋が心なしかふくらんで見えるのは、孝治の気のせいであろうか。

 

「さあ、さっきよりも硬貨の数を増やしたがね。これなら見栄も充分だがや」

 

 このとき能面がふつうである黒崎の顔に、珍しくも子供みたいな笑みが浮かんでいた。孝治も喜び勇んで、黒崎から袋を受け取った。

 

「店長、うれしかです! おれ一生、店長について行きますけ! すっごい奮発ばしてくれて!」

 

 ところが孝治の感謝の言葉で、黒崎が元の能面に逆戻りした。

 

「ふんぱつ? 僕はそんなことしとらんがね」

 

「うわっち?」

 

 孝治は自分の瞳が点になる思いとなった。

 

「で、でもぉ……袋ん中が増えちょりますけどぉ……お金ば増やしてくれたんとちゃうんですか?」

 

 孝治のこの疑問に対する黒崎の返答は、まさに事務的回答そのものだった。

 

「枚数は増やしたが、金額は同じだがや。小金貨三枚を、同額の大銀貨三十枚に両替したんだからな」

 

「うわっち!」

 

 孝治はコケた。ついでに仰向けで倒れた真上では、勝美が高らかに笑っていた。

 

「きゃははっ! 店長もやりますばいねぇ! 硬貨ん数が増えたことに、いっちょん間違いなかけんねぇ♡」

 

 その笑い声を耳に入れながら、孝治はすぐにピョンと立ち上がった。それから猛然と、黒崎に噛みついた。

 

「それじゃなんの意味もなかじゃないですかぁ! おれはベースアップば要求したとですよぉ!」

 

 もちろん孝治の剣幕ごとき、黒崎にとって『カエルのツラになんとか』以下であろう。口調はやはり、終始冷静淡々としていた。

 

「袋にたくさん入ってるように見えれば、外見で見栄を張ることができるがや。とにかく仕事の本分は経費に関係なく、最高の成果を上げることだがね。今回もその意気で、大いに頑張ってくれたまえ」

 

 これでカッコいいセリフを、黒崎は言っているつもりらしい。孝治は声には出せないつぶやきを、胸の中で繰り返すだけだった。

 

(店長はイケメン顔ばしちょうくせに、どげんしてか、こげな子供っぽかいたずらばっかするっちゃねぇ……それもそーとー寒いギャグばっかしをやね☠ ほんなこつほんとん歳は、いったいいくつなんやろっか?)


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