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『剣遊記T』

第四章 旅の始まりは前途多難。

     (12)

 孝治はツバを、ゴクリと飲み込んだ。実際に現場は孝治のハラハラドキドキどおり、合馬と黒崎が、一触即発の対決を始めようとしていた。

 

 お互い真正面からで。

 

 しかし、一方的にいきり立っているのは、合馬のほうだけ。黒崎はふだんの冷静な姿勢を、ここでも初めっから維持していた。

 

「やっと出やがったな! てめえがこの店の主人かぁ! 俺の部下どもに勝手に酒を飲ませやがって、いってえぜんてえ、どういうつもりなんでぇ!」

 

「これはこれは、あなた様がここにおられる皆様方の長であられる合馬様でございますか。お名前はここにおられる方から、お聞きいたしておりますがや」

 

 『ここにおられる皆様方』とは、グデングデンになっている騎士連中のことだろう。合馬はそんな頼りない部下どもには目もくれず、黒崎の冷静ぶりとは好対照な、興奮丸出しの雄叫びを張り上げた。やっぱり裏返っていた。

 

「その中途半端な名古屋弁をやめんかぁーーっ! 聞いとってイライラするじゃねえかぁ!」

 

「そんとおりっちゃねぇ〜〜☠」

 

 これには孝治も同感。とにかく黒崎のインチキ名古屋弁が、合馬の神経に、思いっきりに障りまくったようだ。

 

「えーーい! ここには他に話ができるやつぁいねえのかぁ!」

 

「お生憎ですけど、未来亭ば代表されるお方は黒崎店長をおいて、他にはおりませんので✄」

 

 合馬と黒崎が漫才を始めようとしている所に、今度は由香が割り込んだ。しかし合馬は由香に対し、あからさまな上から目線――あるいは見下し目線を向けるだけだった。

 

「ちっ! 高が給仕は引っ込んどれぇ!」

 

 だけれど由香とて、クセのある強豪ぞろい――未来亭給仕係のリーダーである。むしろ語調を強めて、堂々と合馬に迫る大胆さを、見守る面々に見せつけた。

 

「当店は、お越しになられるお客様及びお泊りになられる方々に、最高の癒しと快適さを提供する場にてございます✌ なので、本日いらっしゃった騎士の皆々様にも、まったく同じサービスをさせていただいた所存でございます✊✐ でも、長であられるあなた様とは違って、部下の皆様は大変に気さくで、とても好印象な方々ばかりでございましたのよ♥」

 

 などと、日頃の筑豊弁を一時封印したかのような、由香の自信満々っぷり。その横では店長である黒崎が、これはこれでけっこう珍しい苦笑いを浮かべていた。

 

「う〜ん、僕が言わなきゃいけないことを、全部由香君に言われてしもうたがね」

 

 これにて現場が、なごやかな空気(?)となった中である。合馬ひとりが、完全に浮いた状態となっていた。

 

「や、やっかましい! グダグダ言い訳並べんじゃねえ! 体中に虫酸が走るわぁ!」

 

「あんまり頭に血ぃ昇らせたら、ほんなこつ脳卒中の元になりますわよ♥」

 

 しゃべり方がすっかり慇懃無礼{いんぎんぶれい}している由香が、合馬に向けて右手を差し出した。それも五本の指をそろえたかたちにして。

 

「な、なんのつもりでぇ?」

 

 合馬の目が、再び点になった。とたんに由香の指先から、いきなり激しい水流が、まるでシャワーのようにして飛び出した。無論、合馬の顔面を直撃!

 

「うわっぷ! お、おめえ、水の魔術が使えるのかぁ!」

 

 これで全身びしょ濡れとなった合馬に、由香がこれまた平然とした態度を見せつけた。

 

「水の魔術ってよりあたしん場合、持って生まれた能力なんよねぇ⛲ 説明したら長いとやけど☻ それよかこれで、少しは頭がお冷めになりました?」

 

「えーーい! もういいわぁ!」

 

 爆発しかけた癇癪に、文字どおり水をぶっかけられた格好。さすがの合馬も、本当に勢いが冷めたようだった。少なくともずっと傍観していた孝治には、そんな風に感じられた。

 

「おれの出番、けっきょくなかったっちゃねぇ……まあ、このほうがよかっちゃけどね♥」

 

 そんな孝治の見ている前だった。どう贔屓目{ひいきめ}に見ても、敗北丸出し。退散に追い込まれた腹いせも丸出し。飲み過ぎで千鳥足している部下のひとりを、合馬が左足で蹴飛ばした。

 

「おらあ! さっさと目ぇ覚ませってんだよぉ!」

 

さらに朽網にまで、憤怒混じりとしか思えない、きつい目線を向けた。

 

「いつまでもスケベったらしく、女どもに構ってんじゃねえ! そんなのほっといて、次行くぞ! このボケカス野郎がぁ!」

 

「ボ、ボケカスとは……☃」

 

 朽網の顔面が、見事な蒼白となった。さらに両方の目玉も、見事真ん丸なビー玉と化していた。

 

 合馬はそもそも、なんのために未来亭――いや北九州まで来たのか。もはや最初の目的(魔術師の捜索)さえも忘れ果てているような、大人げない不貞腐れぶりを、騎士ともあろう者が見せていた。

 

 孝治はこのとき、何気なく考えた。

 

(朽網のおっさん、一生懸命忠誠しちょる上官からこげん馬鹿扱いばされるなんち、夢にも思ったこつなかったやろうねぇ☠☻)

 

 それでも同情する気持ちなど、これっぽっちもなし。いい気味と言えばいい気味だった。

 

 そんな孝治の本心が、まさかビビッと伝わったわけでもないだろうけど、朽網が突然、こちらをギロリと恐ろしい形相でにらんでくれた。

 

「うわっち!」

 

 思わず心臓が縮み上がった孝治に、朽網が情けない捨てゼリフを吐き捨てた。

 

「ちぃっ! 運のいい女どもだぜ! この場はとっとと行っちまいな!」

 

(相変わらず陰険なおっさんやねぇ〜〜☠)

 

 孝治の頭は怒りよりもむしろ、憐れみのほうでいっぱいとなった。ついでにこれで、やっと危険な状態から解放されたかと思えば、これはこれで、ほっと胸を撫で下ろす気分でもあった。

 

 それから孝治は、合馬のほうにチラリと瞳を向けた。この黒い騎士は今も、酔い潰れて路上で寝ている部下どもの頭に、片っぱしから蹴りを入れていた。さらに理不尽な暴言を合馬から浴びせられた、これも腹いせなのだろうか。朽網も部下いじめに加担をしていた。

 

 同じように蹴りを入れて。

 

 これは見るのも腹立たしい未来亭から、一刻も早く立ち去りたい心境なのだろう。しかし肝心の部下一同が、全員深酒でバタンキューの有様。これでは完全な足止め状態と言えそうだ。

 

「やっぱ、アホっちゃねぇ、あのおっさんたちは☀」

 

 孝治は呆れ気分でつぶやいた。そこへ黒崎が、目線でなにやら合図を送ってくる様子にも気がついた。

 

「うわっち? なんやろっか?」

 

『店長はなん言いよんね?』

 

 そばで尋ねる未来亭新人(?)の涼子に、孝治は瞳を黒崎に向けたままで答えてやった。彼女も彼女なりで、黒崎からの合図に気づいたようである。

 

「あれは……やねぇ、店長は口でなんか言いようわけじゃなかっちゃけど、未来亭に雇われちょるモン……まあおれたちんことやけど、声に出さんでも話が通じ合えるよう、お互いに日頃から練習ば積み重ねちょう賜物{たまもの}なんばい☺ やけんこれも、一種の『以心伝心』っち思うけね✍ それで店長がなん言いたいんかっち言うたら、このまんま早よう行くようにっち、目で言いよるっちゃね☚」

 

『ふぅ〜ん、なんかおもしろいっちゃねぇ☀』

 

 涼子は一応、納得をしてくれたようだ。そこへ今度は美奈子が、なんだか不思議を訴えるような瞳で(瞳しか出してないけど♋)、涼子と同じような疑問を、孝治に尋ねてきた。まさか涼子の声に気づいたわけではなさそうだけど。

 

「おや? あない遠くで見てはるだけやのに、あのお方がなにをおっしゃってはるのか、わかりはるんどすか?」

 

 孝治はなんだか、少しだけ優越感をくすぐられたような気持ちになってきた。そんな意識とは関係しないが、美奈子への返答は、涼子への回答に、一部付け加えたようなセリフとなった。

 

「いやあ、おれと店長とは、これでもけっこう、ツーカーの仲なんですよ☺ やけん、こんぐらい離れとっても、お互いなん言いよんのか、ようわかるとですよ✌」

 

「これも未来亭の七不思議のひとつなんですけどね✍ それよか孝治、店長が言いようとおり、早よ出発したほうが、ほんなこつええっち思うっちゃよ✋」

 

「そ、そうっちゃね♐」

 

 さらに友美から背中を押される格好で、孝治は小さくうなずいた。見ればようやくではあるが、合馬の一行もやっと、重い腰を上げたようである。ほとんどの部下たちが、ふらふらとした千鳥足のまま、すでに未来亭から遠くはなれているので。

 

 一部がほったらかしにされているけど。

 

「これで今度こそ、ほんとに出発するっちゃね⛸ また邪魔が入らんうちにやね★」

 

『やったぁーーっ! ずいぶん長い前振りやったばいねぇ☆』

 

 散々待たされて、かなりジレていたのだろう。涼子が孝治の出発宣言に、大きな拍手👏を打ち鳴らした。ただし例のごとく幽体なので、まったくの無音なんだけど。


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