『剣遊記T』 第四章 旅の始まりは前途多難。 (10) 朽網はこれで、自分が見事に手柄を立てた気分でいるらしかった。それこそ鼻息も荒々しく、孝治と友美、美奈子と千秋の四人を(もちろん涼子もついて来ている)、未来亭の正面まで、無理矢理強引的に引っ張った。
早い話が、スタート地点への逆戻り。
「合馬様……いや中隊長殿! こやつら我らの追及を逃れようと、怪しげなる振る舞いをしておりましたぞ!」
朽網はまさに、鼻高々の様相ぶり。
「なんだとぉ?」
すでに馬から降りて、状況を見ている様子だった黒い甲冑の騎士――合馬が朽網に応え、兜の中から孝治たちをギロリと凝視した。
耶馬渓で初めて見たときと変わらない、猛禽類の眼光だった。
「ほほう、まだこんな所にネズミがいたってわけか☻ しかも女の魔術師じゃねえか♥」
連行されてきた者が全員女性ばかりと見るや、合馬が口の端を、ニヤリとゆがませた。しかし、この内のひとりが元男であった奇談など、現時点で気づくことは無理であろう。
「ちょっと顔を見せろ☞ それから名前を言ってみろ☛」
(うわっちぃ〜〜⛐ やっぱ、こげな展開になるっちゃねぇ☠)
孝治の予想どおり、合馬が最初に選んだ獲物は、無論美奈子であった。なにしろ見た目にはっきりとわかる魔術師であるし、そもそもそれを追う理由で、耶馬渓から北九州まで足を伸ばして来ているのだから。
顔もしっかりと、怪しさ満点で隠しているし。
ところが美奈子は、無言のままでプイッと、合馬から目線をそらす態度に出た。
「…………😑」
孝治も嫌と言うほどに知っているのだが、合馬は超の二乗――いや百乗あってもおかしくないような超短気なのだ。思ったとおりの大声で、美奈子を大袈裟に怒鳴り上げた。
「おらぁーーっ! こっち向かんかぁーーっ! 俺に顔を見せろってんだよぉーーっ!」
それでも美奈子は聞く耳持たず。合馬が右から覗けば左へ。また左から覗けば今度は右へと、顔を前後左右、おまけに上下四方八方への受け流しを繰り返した。
しかもこの間、名前を名乗るどころか、ひと言も口を開かなかった。これでは合馬のイライラ度数が、まさに爆発寸前となるばかり。
「あっち向いてホイやってんじゃねえよ! すなおに顔を見せりゃよかろうがぁーーっ!」
ついに――というべきか。堪忍袋の緒がドカンと破裂したようだ(もともと許容量が少なそうだけど☻)。合馬がベルトに提げている剣を、スラリと引き抜いた。ただしここでは、孝治も耶馬渓で拝見したことのある長剣ではなくて、中型の使いやすそうな剣を振りかざしていた。
「うわっち! まずかぁ!」
孝治は頭のてっぺんから、血の気がドバァーッと引いていく思いを感じた。
まさに旅の初っ端{しょっぱな}から、早くも究極といえそうな超危険事態であった。
だが、一触即発的緊迫状態を、孝治にも意外すぎるほどの展開が救ってくれた。
「ちゅ、ちゅうたいちょうどのぉ〜〜♪」
なんとも間延びをしたヘタレ声が、合馬と孝治たちの間に、突如割り込んできたのだ。
「うわっち?」
孝治はもちろんだが、合馬も猛禽類だった両眼が、一気に真ん丸となっていた。
「な、なんだ? おめえらどうしたってんだぁ?」
これにて気勢を削がれたらしい合馬が、ギョギョギョっとした顔になって、ヘタレ声のしたほうに顔を向けた。つられて孝治も、いっしょにヘタレ声の主を拝見。思わず唖然となった。
「うわっち! なんねぇ、あれ?」
『……あたしもわからんっちゃよ♋』
孝治に応じる涼子の口も、ポカンと丸くなっていた。たぶんおれ自身も、涼子とおんなじ顔っちゃろうねぇ――と、孝治は思った。その理由は合馬の部下であるはずの灰色甲冑騎士が、いつの間にかベロンベロンに酔った赤い顔になって、孝治たちの前に、のこのこと現われたからである。 (C)2010 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |