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『剣遊記Y』

第一章  黒崎店長、出張す。

     (2)

「そ、それよかぁ……二週間近くもお店ば留守にするなんち、大丈夫なんでしょうか? 勝美さんもごいっしょするわけなんやけど……☁ まあ、給仕長の熊手さんがその間の代行ばしてくれるし、由香ちゃんたち給仕係のみんなも頑張るっち思うとですけどぉ……✐✑」

 

 騒動勃発が怖い(幽霊そのものは、まったく怖くない)友美は、苦しいながらも話をすり替えた。これに黒崎が、整理と準備の終わったカバンをバタンと閉じてから、今度はなぜか、ため息混じりの顔で答えてくれた。

 

「ああ、その件なら心配いらんがや……とは、正直言いがたいんだが……✄」

 

 店長のため息場面を見るなど、友美には初めての経験だった。

 

「それっていったい……どげんこつですか?」

 

 友美の疑問に、黒崎がうつむき加減で答えた。これも珍しい光景といえた。

 

「実は……今回初めての試みなんだが、東京の大学に通っている僕の従妹{いとこ}で、桃園沙織{ももぞの さおり}という現役女子大生が、僕がいない間の店長職を代行してくれることになっとうがや。給仕長や由香たちにはもう説明しとうから、無用な行き違いはにゃーとは思うんだが……ちなみに漢字でこう書くがや」

 

 サラサラと書いたメモ紙を、黒崎が友美に手渡した。

 

「店長の従妹……さん……沙織さんですか?」

 

 黒崎店長に従妹が存在したとは、友美にはこれまた初耳な話。また涼子も興味しんしんの顔をして、黒崎を正面から黙って覗いていた。

 

 黒崎が話を続けた。

 

「……そうなんだがや。沙織は大学で魔術を習いながら、経営学にも手を染めとうがや。だから今回、僕の出張の件を高速伝書鳩で連絡したら、その間の店の経営をぜひやりたいと返事が来たんで、一応承諾したんだが……」

 

 どうも黒崎自身は従妹の来援に、一抹の不安を抱いているように、友美には見えた。それと同時に胸の中には、やはり従妹に関する興味も湧いていた。

 

「店長の従妹さんねぇ……✍」

 

 偽らざる本心でいえば、友美は黒崎ほど家族っけの無い人物は、この世にはいない――と、勝手に考えていた。

 

 年齢不詳。学歴不明の未来亭店長は、友美たち店子の大黒柱であるのと同時に、どこか奥底と得体の知れない怪人物でもあるからだ。それがどのような家系があるかまではわからないが、そのような人物に新たな血縁者がいたというだけで、これはもう大事件の部類となる。

 

 この話を孝治に教えたら、たぶん自分と同じ反応――いや、いつものパターンで飛び上がって驚いたりする事態に発展するかも。

 

 ここで友美は、そっとささやこうとした。自分以外には誰にも見えない涼子に向けて。

 

「よかね、涼子☞ こんこつ孝治に教えるんは、いっちゃん最初に聞いたわたしなんやけね……☛」

 

 そのつもりだったのだが、時すでに遅し。執務室に涼子の姿はなかった。当然涼子が考える企みなど、友美にはわかり過ぎる話である。

 

 つまり孝治への告げ口。

 

「ああっ! 先ば越されたぁ!」

 

「なにが越されたんだがや?」

 

 これだけ何度も大きな声を出せば、黒崎にも勝美にも到津にも、変に思われないほうが不思議であろう。友美は内心で叫んだ。

 

(しもうたぁーーっ!)

 

 しかしここで、うまいタイミング。

 

「それに孝治くんこつどがんか言いようばってん、そぎゃん言うたら孝治くん……そいぎ今どこ行っとうとね?」

 

「あ……ああ、こ、孝治やったら友達の秀正くんが帰ってきとうけ、きょうはいっしょに飲んじょるんですっちゃよ……ほほっ♡」

 

 勝美が孝治の名前で別方面の話をしてくれたので、友美はそれに乗じて、話をうまくすり替えた。

 

「……秀正くんに待望の赤ちゃんが産まれたもんやけ、そのお祝いっち言いよりましたっちゃね♡ やけんほんとなら、孝治も店長さんたちの見送りに来んといけんっち思うとですけどぉ……やっぱ親友がお父さんになったわけやし……♡」

 

「僕のことなんか、全然構わんがや。それより秀正に、ついに子供が産まれたのかぁ」

 

 めでたい話題が、さらに幸い。黒崎も友美のすり替えに、まんまと乗ってくれた。

 

 ちなみに和布刈秀正{めかり ひでまさ}とは、孝治の昔からの親友で、愛妻穴生律子{あのう りつこ}とともに盗賊を生業としている男。その秀正が律子の出産で、ふたりそろって彼女の実家である博多市に帰っていた。それが無事に子供も産まれ、まずは旦那がひとりで先に、北九州市へ戻ってきたわけである。

 

 黒崎がしみじみとささやいた。

 

「そうかぁ……そんな祝いの席に顔を出せないのは、なんとも申し訳ないことだがね」

 

「しかし店長、今回の出張は、今さらキャンセルなんてでけんですよ⛑ 確かに秀正くんには、がばい悪う思うばってん☹」

 

 口調はきつめながらも、勝美も思いは同じようだった。また到津は到津で、ニコやかな笑顔を振り撒いていた。

 

「なんにしても、これめでたい、めでたいあるよ♡ ワタシ秀正さん、おおいに祝福するだわね♡」

 

 さらに黒崎も、もうひと言。

 

「まあ、中国に行ったら、なんか誕生祝いにふさわしい物でも買ってくることにするがや」

 

「それはよかですねぇ♡」

 

 友美は店長の心づくしに、オーバーではなく本気で感激した。周囲からは、やれ冷徹だ能面だと厭味を叩かれることの多い黒崎であった。だけど身内に限らず、すべての人たちに対する気配りと心配りは、また格別なものなのだ。そうでなければいくら大商人とはいえ、いったい誰が、彼のあとについて行くだろうか。

 

「今のところは僕と勝美君から秀正に、『おめでとう』と伝えとってほしいがや。正式なお祝いは、出張から帰ったときに必ず行なうから……とね」

 

「わっかりましたぁ♡ そげん伝えておきますっちゃね……あっ、そうそう、それで店長の従妹の沙織さんは、いつこちらに来られるんですか?」

 

 感激ついでに友美は、代行店長の来店時期も尋ねてみた。

 

 友美としては、やはり店長の新たな身内も気に懸かるところ。すると現店長――黒崎は、再び少しだけ苦笑いを浮かべたような面持ちとなった。先ほどからの繰り返しで。

 

「ああ、僕とすれ違いになるけど、あしたの朝には到着する予定になっとうがね」

 

 これにて友美の心臓は、ドキッと大きめに高鳴った。

 

「あ、あしたぁっ! あ、そ、そうなんですかぁ……は、早かとですねぇ……☻」

 

(でもそれやったら、心の準備が間に合わんとですけどぉ……☁)

 

 とりあえず本心は、胸に収めておく。それよりも友美は、あまり当たり障りのない――しかし大事な一件も訊いてみた。

 

「そ、それで……沙織さんのお年は……おいくつなんですか?」

 

「年齢は孝治や友美君たちと、そう変わらんがね。ただし、少々やんちゃな性格だから、そのつもりでいてくれよ」

 

「やんちゃな性格なんですかぁ……♋」

 

 その付近がどうやら、黒崎の心配の種であるらしい。とにかく店長の従妹にそのような妙な肩書きが付いたおかげで、友美はこれから先の話の展開が――なんとなくだけど――読めるような気がしてならなかった。


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