前のページへ     トップに戻る     次のページへ


『剣遊記Y』

第一章  黒崎店長、出張す。

     (1)

「今度の出張は長ごうなるとですか?」

 

 魔術師の浅生友美{あそう ともみ}が、未来亭店長黒崎健二{くろさき けんじ}氏に会うため尋ねた時と場所。それは彼が執務室で秘書の光明勝美{こうみょう かつみ}といっしょに、重要書類などをカバンに詰めている真っ最中であった。

 

 友美はその執務室にある黄色いソファーに座って、黒崎が準備をしている様子を眺めていた。

 

 ちなみに現在、執務室に居る者は、この三人だけではない。野伏の到津福麿{いとうづ ふくまろ}と――もうひとりの問題児兼友美の親友(ついでに容姿風貌ともに、友美のそっくりさん)で、幽霊の曽根涼子{そね りょうこ}がいた。ただし、到津は黒崎の手伝いをしているので、同席していても問題はなし。しかし涼子のほうは、友美にしか姿が見えていないのを良いことにして、真っ裸の格好で室内を堂々と徘徊中でいた――と、それだけならば、まだマシとも言えるかも(どうせ見えないのだから☻)。だけど友美は、涼子がいつ茶目っ気を出していたずらを始めないか心配で心配で、顔には出せないハラハラドキドキの渦中にいた。

 

(もう……ほんなこつおとなしゅうしときんしゃいよ……

 

 そんな心境でいる友美に、黒崎が答えた。

 

「ああ、今回は海を渡って中国の各都市を巡回するから、全行程におよそ一週間から二週間ほどかかる予定だがね。そうだったがやね、勝美君」

 

「はい、店長♡ 初めは船ば乗って、そんあとで馬車での移動やったですから、全行程に一ヶ月ほどの日程ば見とったとです♐ こりゃざっとなか旅っち、うーか(佐賀弁で『多い』)っち思いよったんですけどねぇ☀」

 

 勝美が書類の束を全身でかかえ上げ、カバンの中に収めながらで、黒崎に応じた。

 

 彼女は黒崎の有能な秘書であり、全スケジュールの管理も任されていた。それも身長が常人の手の平サイズという、ピクシー{小妖精}の体でありながら――である。ついでに背中には何度も説明しているが、半透明のアゲハチョウ型の羽根があり。

 

「そうなんだがや。しかし今回は到津君がドラゴン{竜}になって飛んでくれるもんだから、早い日程で終われそうなんだがね」

 

 インチキ臭い名古屋弁は、もう棚の上に置く。それよりも未来亭の店長職は、実に多忙なのである。具体的に表現すれば、早朝から深夜の閉店に到るまで、ほとんど休息を取る時間が見当たらないほどに。

 

 しかも黒崎は店の業務に加え、北九州市経済界の重鎮も務めていた。つまり鞘ヶ谷孝治{さやがたに こうじ}たち戦士や友美たち魔術師を傘下に置き、全国からの仕事依頼に応じながら、なおかつ地元財界人の代表もこなしているわけなのだ。

 

(この人……体がひとつで足りとうとやろっか?)

 

 素朴な友美の疑問であるが、これをふつうに考えれば、どう見ても頑張りすぎ。友美は黒崎の立場を自分に置き換えたとしたら、とてもじゃなかけど、こげな激務は絶対果たせんばい――と痛感していた。

 

(言うたら気ぃ悪うするやろうけど、孝治かてたぶん、すぐに音{ね}ぇ上げるに決まっとろうねぇ☠ あんまし根性なかっちゃけ☺☻)

 

 旅と冒険のパートナー――孝治への酷評はさて置き、友美は質問を続けた。

 

「それで、中国のどこに行くとですか?」

 

 二度目である少女魔術師の問いにも黒崎は気さくに、また極めて丁寧に答えてくれた。

 

「中国と言っても、海沿いの都市がほとんどだがね。まず最初に香港に上陸して、それから上海青島北京の順番になっとうがや。まあ、各地の市場視察が今回の出張の目的になっているんだけど、こんな強行日程が組めるのも、到津君のおかげだがや」

 

「店長って、中国語がしゃべれましたっけ?」

 

 この質問は、少々失礼な要素もあるかもしれないが、これも友美の気になる点だった。しかし黒崎は、この問いにも鷹揚に応じてくれた。

 

「それも心配ないがね。到津君が通訳も兼ねてくれるもんだがや」

 

「はいあるね!」

 

 ここで黒崎から期待満載の指名を受けた当の到津が、ソファーに座っている友美に振り向いた。それも満面を喜色でいっぱいにして。

 

中国大陸、ワタシの生まれたとこだわね! 今回恩義ある店長さんのお役立てるうえ、百年ぷりくらいに大陸の土踏めて、ワタシとてもこが〜に大感激大歓喜だわね! ほんとここまでの道のり、とても長かった⛐ こが〜にせつい歴史あるよ!」

 

「そげん言うたら到津さんっち、中国から日本に来て、ほんなこつ長かったっちゃですねぇ〜〜☺」

 

 友美は到津が本心から喜んでいるのを、すなおに理解した。一般的に考えて、百年もの月日が『長かった』のひと言で片付けられるのかどうかは、甚だ疑問である。だがこれが到津の場合だと、特に問題はない。理由は彼の正体が、すでに黒崎が述べているとおり、銀色の翼のドラゴンであり、一般人の寿命を遥かに超越する長寿の持ち主であるからだ。

 

 今から百年の昔、ほんのお遊び気分で中国大陸から海を越えて日本列島に飛来した到津は、着地のとたん、性悪な魔術師に捕まり、以来ずっとある古城の番人――もとい番竜を務める破目となっていた。

 

 それがひょんな話の展開で、孝治たちの活躍によって束縛から解放され、そのままの成り行きで、未来亭に居着いたわけ。

 

 なお、古城の所在地は島根県の石見銀山跡地である。

 

「到津君なら中国のことよう知っとうがや。おまけに護衛として、彼以上に心強い者もおりゃーせんがな。だから今回は僕のほうから特に頼んで、同行を承諾してもらったんだがね」

 

「はい! ワタシ必ず店長のお役に立ってみせるだわね!」

 

 黒崎の持ち上げ言葉で、到津が直立不動の姿勢になって、高らかに宣言。これを涼子が、冷やか気味の瞳で眺めていた。

 

『お互い、ずいぶんお世辞ば言いまくっちょうねぇ〜〜♐ 店長も到津さんのこつ、思いっきり利用しまくる気っちゃね☻』

 

「涼子っ、しっ!」

 

 友美は慌てて、口元に右手人差し指を立てた。だけど御存知のとおり、幽霊――涼子の声は彼女自身が心を許している者――というより気に入っている相手にしか聞こえない。だから黒崎と到津には涼子がなにを言っても関係がないので、これは一見、ほっておいても良さそうなことであった。

 

 だが現実に涼子の声が聞こえる友美としては、そうはいかなかった。ついいつもの癖で注意をしてしまった――というわけ。

 

 当然今の『しっ!』のほうが、黒崎の耳に入ったようだ。

 

「友美君、急にどうしたがや?」

 

「友美ちゃん、なんか変ばい☞」

 

 勝美までからも、不審がられる始末。友美は顔が真っ赤の思いで、頭を横にブルンブルンと振りまくった。

 

「い、いえ! な、なんでもなかですっちゃ!」

 

 幽霊涼子の存在は、今でも未来亭の面々には内緒のままとなっていた。だから彼女の実在がバレたとなったら、どんな騒動が未来亭に巻き起こるものやら。実際わかったものではなかった。そのおかげで涼子から気に入られているふたり――友美と孝治には、気の休まる日々がまったく訪れないでいる現状なのだ。

 

 いくら日頃冷静沈着が看板となっている黒崎と言えど、店に飾ってある肖像画の少女が幽霊となり、この世から成仏せずに徘徊していると知ったら、いったいどのような反応を起こすであろうか。

 

 これはこれで見てみたい、いたずら心もあるけれど。


前のページへ     トップに戻る     次のページへ


(C)2012 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved.

 

inserted by FC2 system