『剣遊記X』 第三章 旅は三角関係と共に。 (10) 「……ここ……男湯だよねぇ……☁」
おどおどと、裕志が尋ねた。
「そうっちゃよ!」
きっぱりと、孝治はジト目のつもりで答えてやった。
村の温泉は山奥の隠れ湯で定番となっている男女混浴ではなく、男湯と女湯とに、明確に区別をされていた。
おまけに浴場は、山の上のほうと麓の二箇所に別れ、日替わりで男女が入れ替わる形式にもなっていた。
孝治たち一行が温泉に入った日は、ちょうど男性が山の上、女性が麓の日であった。
ただし、村人たちとは入浴時間がズレているようだ。現在男湯の湯船は、孝治と裕志のふたりで貸し切りの状態。しかも魚町先輩は静香の父から呼ばれ、一族に挨拶回りの最中になっていた。
新郎は大変である。
孝治と裕志の話に戻ろう。
孝治は湯船を形作る大岩を背中にして、踏ん反り返った格好を見せつけていた。
見せつける相手は、もちひとり。
反対に裕志は孝治に背中を向け、鼻の穴にちり紙を詰めている真っ最中。先ほどから鼻血が止まらないものだから。
「……ど、どげんして……孝治が男湯におると……?」
裕志は先ほどから、全身のおどおどが止まらないご様子。これに孝治は、ややイラつき気味の気分となっていた。
「そげなん簡単やろうも☀ おれが男やからったい♀ これって裕志も承知しとろうも☠」
裕志はおどおどしたまま答えた。
「そ、そう……なん……やけんどぉ……☁」
とは言うものの、裕志の感性は孝治との入浴に、特に過剰な反応を示しているようだ。まあ、当たり前の話であるが。
だけど、今となっては手遅れ。理由は、嫌がる裕志を強引に押し切って、孝治は混浴を強行。しかも堂々と、自分の女体――心が男性だけれど身は女性――を、裕志に公開しているのだ。
孝治自身も、今や完ぺきな開き直り。本当の女性がうらやむであろうほどの豊満な胸(おっぱい)を、わざとらしく裕志に見せびらかしていた。
「遠慮せんで、こっちば向いてもよかっちゃけね✌」
「い、いや……やっぱ遠慮しとく……✄」
はっきり言って、孝治は裕志に意地悪をしていた。実際こんな愉快な仕打ち、やめられるわけがなかった。なぜならこの行動は、不本意で性転換してしまった孝治の、唯一のうさ晴らしでもあるからだ。
『思うちょったとおりばい✌ 裕志くんばからかいよんやねぇ☠』
「おっ、涼子も来たっちゃね☆」
そのおもしろ好きな性格からして必ず現われるだろうと、孝治は予測をしていた。そんな涼子がお出ましになっても、孝治は澄まし顔を貫いた。
やっぱり裕志にバレたら、とてもまずい話となるので。
『じゃあ、あたしも入ろっと★』
裕志が全然気づかないまま、涼子が音もなく(当たり前か)、湯船に幽体を浸からせた。
「うわっち! ここは男湯ばい☢」
人のことを言えないはずだが、孝治も涼子の大胆な振る舞いに、思わず慌てた気持ちになった。
『あたしがいけんかったら孝治はなんね☛ それにあたしは見えんけいいと☻』
「そ、そりゃそうっちゃけどぉ……☁」
これらの孝治の慌てぶりを、幸い裕志は、ずっと背中を向けたまま。目を閉じ耳も両手でふさいでいるので、孝治と涼子のやり取りに、気づいている様子はまったくなかった。
だけど、もしもバレたら一大事。男湯に男性一名と女性二名(内訳は元男性と幽霊)がいっしょに入っている話となるのだ。
それどころではないような気もするけど。
しかし自認はしているが、もともと孝治自身も能天気である。
「まっ、よかっちゃね☀」
孝治は慌てるのをやめにした。とにかく発覚さえしなければ、なんの問題もない話であるからだ。
それから涼子が、孝治にひと言。
『まあ、刺激に弱い裕志くんにこげな意地悪するなんち、相手が裕志くんやけできるとでしょ✌ 他ん男やったら、絶対不可能なことやけね✄』
「それは言えちょうばい♐」
けっこう辛辣とも言える涼子の指摘で、孝治はなんだか、鼻白む気分になった。
だけど否定する気も、まったくなし。実際のところ、確かにこのような無茶が可能な相手は、裕志を置いて他にはいないだろう。
帆柱先輩や魚町先輩は生真面目で堅物だし、同期である和布利秀正{めかり ひでまさ}や枝光正男{えだみつ まさお}相手だと、こちらのほうが恥ずかしい(注 秀正とは一回だけ混浴経験済み)。
さらに荒生田先輩に至っては、もはや論外中の大論外。入浴中はおろか、鎧をきちんと着用していても油断をすれば、あっという間に押し倒されてしまうのだ。
『まあ、今んとこは裕志くんだけやけええとやけど、こん山には野生の猿が多いそうやけ、そいつらに覗かれんように気ぃつけることやね♐』
「ばぁ〜たれ☠ 猿に裸見られるくらい、どうってことなかっちゃよ☆」
涼子の忠告を、孝治は鼻で笑って返してやった。 (C)2012 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |