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『剣遊記T』

第一章  災難は嵐の夜から。

     (8)

「この薄汚ねえ泥棒猫野郎がぁーーっ!」

 

 周辺に漂う鬱{うつ}な気分と空気。これも合馬には、一切関係なし。腰のベルトに提げていた鞘から超長い剣を引き抜き、合馬が女賊に斬りかかった。

 

 初登場のときから孝治も拝見していたのだが、合馬の剣は、持ち主の身長の三分の二近くにも達する、大型のシロモノ。これをよくぞ簡単に、鞘から引き抜いたものだ。しかもそれがせまい望楼で、軽々と振り回されるのだ。おかげで刃先がカチンカチンと城の石壁にぶち当たり、バチバチと本当に火花を撒き散らすほどとなっていた。

 

 ところが女賊はその剣の大振りを、右に左にと飛び回りながら、ほんのわずかの差でかわしていた。

 

 こちらと思えば、またあちら。誰もが目を見張る、まるで曲芸師のような身の軽さ。同時にやわらかさであった。しかも望楼の床は、雨でビショビショに濡れているのだ。だが、それすらも関係なしの妙技を、女賊は孝治と友美、さらに守備兵たちを観客として、堂々と披露してくれた。

 

 まるで合馬とは前もって打ち合わせ済みであったかのように、ギリギリ寸前の窮地的場面でも、剣の切っ先は肌にかすりもしなかった。いわんや衣装がちぎれ飛んで素肌があらわとなる期待のシーン(?)も、絶対に見せてはくれなかった。

 

「な、なんねぇ! あん人まるで、イカタコみたいっちゃよぉ!」

 

 表現は不適切かもしれない(当の女賊が聞いたら、絶対に腹を立てる☻)。だけど孝治の驚きは事実、そのとおりだった。

 

 しかし悲しいかな。これらの妙技が可能な時間は、あくまでも今の内であろう。女性の力量では、早めに体力の限界が訪れるに違いない。孝治の目にも、その兆候が、確実に感じられていた。

 

「ああ……ヤバいっちゃよぉ……☠」

 

 動きの鈍化――つまり、疲れが明白なのである。

 

 対する合馬の底力は、まるで無限のように、孝治には見えていた。なにしろ大型剣の大振りに、まったく衰えがないからだ。

 

「あ、相手は女の人やっちゅうとに、まるっきし情けばかけとらんばい!」

 

 孝治は合馬に、改めての戦慄を感じた。それは頭のてっぺんから血の気がざわざわと、最後の一滴まで引いていくような思いだった。しかも目の前で展開されている剣の振り方に、手加減の要素が微塵もなし。むしろ首だろうが両手両足であろうが、遠慮なしでぶった斬る気迫が、必要以上に込められているようなのだ。

 

「そもそも、あれが女の人っち、いっちょもわかっとらんのかもよ☠」

 

 同じく友美も、全身をガチガチと震えさせていた。顔面にかかる豪雨など、まったく気にも留めていない合馬の鬼気迫る戦いっぷりを、まともに瞳に入れているからであろう。

 

 時折ガラガラビッシャーンと、派手に鳴り響く落雷の光で、合馬と女賊の全身像が、闇の中に浮かび上がる。その一瞬の映像を見る限りでも、合馬は女賊を、遥かに圧倒していた。女賊がいくら曲芸師であっても、望楼のような広さに余裕に乏しい空間では、思いっきり剣を振る重戦士のほうが、断然的に有利なのだ。

 

 しかし女賊も、自分の不利をとっくに心得ているようだった。ここらで形勢の逆転を狙ってか、女賊が合馬の剣をスルリとかわし、まるで模範演技のごとく、軽くピョンと跳躍。望楼の手すりに両足を乗せ、カッコいい立ち姿を披露した――までは良かった。

 

だけどそこは、先ほどから指摘をしているとおり、雨で濡れている危険な足場なのだ。そのため当然の展開ながら、女賊が手すりの内側に、ドスンと落っこちる失態を見せてしまった。

 

 今までの軽業は、いったいなんだったのか。それともこれは、『猿も木から落ちる』なのか。殺意に満ち満ちている合馬の前で、無防備な尻餅姿をさらしている状態である。これでは手すりの外側に落ちて、四階下まで真っ逆さまと、いったいどちらが幸運であっただろうか。

 

 もちろんこの機に乗じたとばかり、合馬が高い奇声を上げた。

 

「てめえを三途の川に送ってやらぁーーっ! きえーーっ!」

 

 もはや人間離れの極致。怪鳥の叫びに近かった。

 

「うわっち! やばっ!」

 

 目の前で女性が惨殺されそうな事態に及び、ついに孝治は、我慢が限界を超えた。

 

「上っ! 上っ! 上っ!」

 

 とにかく出鱈目{でたらめ}に大声でわめき、孝治は守備兵たちの間をすり抜け、戦闘現場の間近まで忍び寄った。

 

 それから自分自身の剣を抜く代わりに、ヒョイと前に出したもの。それは孝治自身の左足だった。


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