『剣遊記T』 第一章 災難は嵐の夜から。 (6) 孝治と友美は、騒動から逃れる機会を、完全に失っていた。もはや嫌々ながらでも、合馬と朽網のあとを金魚の糞のように、渋々従って行くしか他にやりようがなかった。
そんなふたりの目に、望楼に追い詰められた賊の姿が、ボンヤリと写ってきた。なんだかんだと言いつつも、孝治と友美の足は、しっかりと事件現場の最前線に向かっていたのだ。ここで孝治と友美は、そろって声を上げた。
「うわっち! おったばい!」
「ほんなこつ!」
それも一見したところ、賊の背後は激しい雷雨で荒れる、夜の闇の空間が広がるだけ。おまけにこの場は、地上四階建て。落ちればケガでは済まない高さがあった。
このような状態であれば、どんなに贔屓{ひいき}目で見ても、事実上の袋のネズミであろう。
追い詰められている賊は、頭のてっぺんから足のつま先まで、黒く見える衣装で身を包んでいるようだった。さらに念を入れているつもりか、顔もふたつの目の部分以外、完全に覆い隠していた。
これだと孝治の目では、男女の区別さえ、まるでつかなかった。また守備兵たちのほうも賊の正体がつかめず、やはり困惑している感じでいた。
だからこそ、賊の顔を見ないといけない。望楼を城の内側から囲んでいる兵が、後方の仲間に向けて叫んだ。
「暗うてよう見えんけ、早よ松明{たいまつ}ば持ってこんねぇ!」
「は、はい!」
後方の兵が大慌てで、階段まで走っていった。そんな騒々しい中だった。友美が突然、突拍子もない声を張り上げ、右手人差し指で賊の方向を指差した。
「あん人、女の人っちゃよ!」
「うわっち! なしてわかるとやぁ!」
驚きの孝治に、友美が恥ずかしそうにして、顔を下に向けて答えた。
「だってぇ……あん人ぉ……大きい胸しとうもん……☁」
「うわっち?」
友美が左手の人差し指で差した所を、孝治は暗い中、必死に目を開いて凝視した。兵たちが慌てて用意をした松明に照らされ、賊の姿がようやく鮮明になった状況も幸いだった。
強い風雨にさらされている望楼に、火は出せなかった。そのため城の中から照らしているだけの状態なのだが、それでも衣装の密着している賊の体型が、孝治の立ち位置からでも、よく見えるようになっていた。
つまりが、着ている服が体にピッタリしていると――際立つ所が、これまたよく際立つわけ。
「くやしかけどぉ……わたしよか胸が大きかけぇ……☠」
友美がなんだか、無念の歯ぎしりをしていた。おまけでつまらないセリフを、孝治は無意識でつぶやいた。
「そんとおりっちゃねぇ……♥」
すぐに友美から、見事なハリセン・チョップをパシンッとお見舞いされた。 (C)2010 Tetsuo Matsumoto ,All Rights Reserved. |