『剣遊記T』 第一章 災難は嵐の夜から。 (4) これをくわしく説明すれば、今より五百年の昔、尾張の国の雄――織田一族が、西洋から伝来した魔術の力で全国を統一した時代。京都の貴族衆――古来より日本の実権を握っていた皇室を中心とした勢力が、都から追放の憂き目となる事件があった。
皇室や宮廷、公家諸侯など丸ごとの都落ちは、日本の建国以来、前例のない出来事であった。
この事件により皇室とその一派は、遥か東の地――江戸に居を構える屈辱に甘んじていた。
それでも都が恋しいのだろうか。江戸の名称を『東京』と改め、京都の織田皇帝に反目を続けていた。
と、ここまでの歴史は、孝治も小学校の授業で習っている話。
皇帝と皇室。ふたつの王家が混在する、いびつな王政国家――日本。
だが、さすがに五百年もの年月が経過をすれば、両者の間で一定の和解が成立したのかもしれない。しかし孝治は、そのようなニュースを聞いた覚えはなかった。権力者同士の裏事情など、下々の戦士である孝治には、なんの関係もない勝手な手打ち式でしかないからだ。
「家来が東京モンっちこつ、主人の公爵さんは承知しとるんやろっか?」
孝治は友美の右耳に口を寄せ、そっとつぶやいた。仮に表向き和解をしたらしくても、裏ではドロドロとした因縁が続いているのが、世間の相場でもあるからだ。
これには友美も、孝治の疑問に共感しているようだった。先ほどからしきりに頭をひねっていた。
「そうっちゃねぇ〜〜、わたしらにはようわからんちゃけど、話は簡単やなか、っち思うっちゃよ☁ しっ! あいつがまた、ジロジロ見ようばい☠」
危険な空気を察知して、孝治と友美は、慌てて首をカメのように引っ込めた。問題の騎士――合馬が氷点下の眼差しで、居並ぶ守備兵たちに、新たな命令を下したのだ。
「おめえら役立たずどもには、もう任せられねえぜ☠ 今から俺が直接指揮を執るから、おめえらふんどし締めて、きっちり覚悟しやがれよ☠」
「やっぱ、危なかおっさんやねぇ☠」
守備兵たちの背中に隠れて、孝治はまた、こっそりとつぶやいた。吠える合馬とは、できるだけ目を合わせないようにして。
「わたしもなんだか、怖い感じがするっちゃよ☢ あんひと、まるで鷲か鷹みたいな目ぇしちょるけ☠」
やはり目を合わせないようにしている友美が付け加えたとおり、黒い――ある意味悪趣味な色をした甲冑の合馬は、恐らく体内に充満させているであろう残忍性を二本の眼光に変え、周囲に悪夢を見せるような感じでばら撒いていた。
これでは誰もが、絶対に目を合わせたくはないはず。おまけに合馬と並んでいる黒い魔術師風の男も、口元で相変わらずの薄ら笑いを浮かべ続けていた。
これら現場に漂う重苦しい空気など、まったく感じることはないのだろう。合馬の強引極まる荒声が、再び城内の隅々にまで反響した。
「いいか! もういっぺんてめえらに訊くぞ! 賊の居場所がわかるやつぁ、ほんとにいねえのかぁ!」
「は、はぁ……そ、それがですねぇ……☂」
ひとりの守備兵がなにを考えたのか、よせばいいのに、無駄な現況報告の愚行をしでかした。
「……い、今も逃げた所がつかめんとですよぉ……☁」
「本っ当に使えねえ、すっとこどっこいの唐変木{とうへんぼく}ばっかしだなぁ!」
「ぐげぇ!」
けっきょく合馬を、さらに激高させただけ。ボゴッと、ふたり目の顔面鉄拳被害者となった。
「こいつら猿どころか、犬っころほどにも役に立たねえぜ! なあ、朽網{くさみ}よぉ♡」
「まったくだな☻ これだからわしは、田舎がでえっ嫌えなんだよ☠」
現場に罵声と暴力の嵐が吹き荒れた。外部の暴風以上の恐怖を伴って。そんな中で孝治は、再び思わずでつぶやいた。今度は少々不謹慎ながら、含み笑いの気分でもって。
「魔術師のほうの名前は『くさみ』やて☺ なんか『くしゃみ』みたいな変な名前やねぇ♡」
「孝治、笑うちょう場合やなかっちゃよ☠ しばきあげられた兵隊さんの顔ば見てみ☠」
「うわっち、そうやった♐」
友美から静かに注意をされ、孝治は倒れている守備兵の近くまでそっと寄って、上からその顔を覗いてみた。
その兵は確実に、前歯が二、三本は折れていた。
「お、おっそろしかぁ〜〜☠」
孝治の背中を冷たい汗が、滝となって流れ落ちた。 (C)2010 Tetsuo Matsumoto ,All Rights Reserved. |