『剣遊記T』 第一章 災難は嵐の夜から。 (3) ところで騒動も時間が経過をすれば、業を煮やした上官のお出ましが避けられない場面となってくる。
城で一番高い塔のらせん階段から、それらしき人物が登場。従者を背後に引き連れ、下の階に並ぶ守備兵たちを、ギロリとにらみつける。
にらまれた兵たちの中に、運悪く孝治と友美もいた。しかも前述のとおり、友美はこの場における、ただひとりの女の子。最悪の予測どおり、上官の目がふたりの前で、ピタリと視線を向ける事態になった。
(まずかっ☠)
孝治は緊張で、思わず身を固くした。
(おれはええとやけど……友美に因縁ばつけられたら、おれはどげんしたらええんやろ?)
パートナーを守るためとはいえ、もしも喧嘩になったら、とてもではないが勝ち目はないだろう。しかし幸い、上官らしき人物と従者は、着ている鎧が異なる若い戦士と少女の存在に、それほどの関心を持たなかったようだ。ふたりともなにも言わず、すぐに目線の向きを変えてくれた。
全体的に照明の乏しい城の中、上官の姿は、黒に染めた金属製の甲冑らしい様子が、だいたいわかる程度だった。それでも彼の腰のベルトには、孝治も思わず目を見張りたくなるような大型の剣が、鞘に収められて右側にぶら提げられていた。
その剣の長さはなんと、持ち主の身長の、三分の二近くはありそうだった(もはやぶら提げているとは言わない。ベルトより上のほうまで剣の柄が伸びていて、ときどき下の部分が床に当たって、ガチャンガチャンと音を立てているほどであるから)。
おまけにいっしょについている従者までが、やはり黒い法衣のような衣装を着こなしていた。こちらは剣ほどの威厳はないようだが。
「あれが兵隊さんたちん中で、いっちゃん偉か人みたいやねぇ☛ あん格好とそーとーデカい剣ば見れば、だいたい騎士ってとこやけど✍ それでうしろにおるんが、おかかえの魔術師やろっか✎ あん格好は魔術師の定番やけ☚」
外見の服装で、孝治はふたりの素性を推察した。すぐに友美が孝治のささやきを、小声を出して止めてくれた。こちらも右手の人差し指を、自分の口の前で立てながらで。
「しっ! 聞こえるっちゃよ☢ それにわたしかて、本職の魔術師やけんね♡」
「おっと、そうやった♐」
孝治は慌てて、自分の口を右手でふさいだ。同時に上官らしき騎士らしき男が、大きな声――それも怒りの感情をむき出しに、恫喝的な銅鑼{どら}声を張り上げた。
「まだ、ふてえ盗人野郎は見つからねえようだなぁ♨ てめえらそろいもそろいやがって、木偶{でく}の棒の集まりかよぉ♨ この場の責任者は出てきやがれってんだぁ!」
「うわっち! ありゃりゃ☆」
孝治は思わず、前のめりでズリこけた。なぜなら騎士のしゃべり方が、思いっきりの『べらんめえ』調であったからだ。そのついで、騎士の右横で偉そうな態度をして踏ん反り返っている魔術師風の男に目線を移せば、そいつも守備兵一同に、やはりあからさまな見下しの目を向けていた。
「まあまあ、こいつらはしょせんが田舎の山猿どもなんだよ☻ こんな間抜けどもになにかを期待するほうが、そもそも大間違いってぇもんだからなぁ♪」
騎士は怒りで、顔面が真っ赤っか。こちらはわかりやすかった。しかし魔術師のほうの薄ら笑いを浮かべた表情は、いったいなにを考えているのかわからない、不気味な雰囲気を孝治に感じさせた。
「ふん! 九州の山猿かよぉ♬ じゃあてめえらは桃太郎の猿以下ってことだよなぁ☠」
続く騎士のあからさまな侮辱に、守備兵の誰もが、黙って歯を食い縛っているように、これも孝治には見えていた。だがついに、屈辱に耐えられなくなったようだ。ひとりの守備兵が、騎士の前に身を出した。
「ちゅ、中隊長殿! 責任者はこのわし……い、いえ、自分であります!」
しかし、兵士の精いっぱいであろう意地と気概は、同時に今晩における――いや、生涯最大の災厄を、彼に呼び寄せる結果となった。
「この役立たずのボケカスがぁーーっ!」
悲鳴を叫ぶ暇すらなかった。いきなり騎士が右手のパンチで、兵の顔を真正面からガズンッと殴り飛ばしたのだ。
指の先まで金属製の手甲で覆われた拳骨{げんこつ}を喰らったわけである。これはたまったものではないだろう。
「うわっち!」
自分が被害者でもないのに、孝治はつい、当事者の思いで驚きの声を上げた。
殴られた兵は遥かうしろの壁まで弾き飛ばされ、ドガンッと後頭部を強打。あえなく卒倒――つまりが気絶。孝治の周囲では守備兵たちが青い顔をになって、ひそひそとささやき合っていた。
「また始まったばい☢ 合馬{おうま}の焼きグリ頭が……☠」
「やけんど、なんもうち喰らさんかてよかろうにのぉ……☁」
孝治も小さな声で、そっと友美にささやいた。
「『おうま』っちゅうのが、あの騎士さんの名前みたいやけど、そーとー危ないおっさんやねぇ☢ それにみんなから呼び捨てにされとうとこ見たら、あんまし好かれちょらんみたい♐ 品もなさそうやし♥」
「つまりぃ……人望がないってことやね♥」
友美も騎士らしき上官と魔術師風の男に瞳を向けたままで、孝治にうなずいた。孝治も友美にうなずきを返し、続きをそっとささやいた。
「そのついでなんやけど、ふたりとも、もろ『べらんめえ』調の東京弁っちゅうか、訛りでしゃべりようけ、どうも関東の人間みたい……ん? ちょっと変な話やねぇ☁」
ここで孝治の頭に、ひとつの小さな疑問が浮かんだ。なぜなら孝治と友美がひと晩の宿をお借りしている羽柴家は、日本の中央――京都市に首都を構える、織田皇帝麾下の貴族なのだ。なのに、家来に東京の者が混じっているとは、とても奇妙な構図といえた。 (C)2010 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |