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『剣遊記T』

第一章  災難は嵐の夜から。

     (13)

 滝のようだった雷雨も静まり、空が東の方角から、白々と明るくなり始めていた。

 

 つまりが雨上がり。朝の訪れである。

 

 しかしそれでも、合馬からの合圧的命令が終わったわけではない――が、孝治のやる気自体は、今やほとんど失せていた。もともと嫌々度百パーセントであったことだし。

 

「だいぶ城から離れたみたいやけ、もうこの辺でやめにしようや✋」

 

 これまたほとんど徹夜の奮闘続きで、今の孝治は、意識の四分の一が朦朧{もうろう}の有様。そんな寝不足の状態で、孝治は友美にささやいた。

 

「そうっちゃねぇ……ふたりだけで、ずいぶん遠くまで来たみたいやし✈⛵」

 

 友美も孝治にうなずいてくれた。眠りたい気持ちは、どうやら同じようだった。

 

 現在、孝治と友美の周辺にはセリフのとおり、他の守備兵たちの姿はなかった。これはふたりだけでの行動を決め込み、城より遥かに遠く、山国川の上流まで足を伸ばしたからであった。

 

「たぶん城ん連中は、町んほうば捜すっちゃろうけねぇ♐」

 

 これは城から出るときの孝治の推測であったが、一応当たったみたいでもある。

 

 周囲にはススキの草原が広がり、近くには山国川の支流と思われる小川が流れていた。さらにその一帯を、まるで風景画のような高い絶壁が囲んでいた。

 

 このススキの野原を先行している友美が、ここで自分のうしろにいる孝治に振り返った。

 

「じゃあ、今度こそ仕事が終わったようやけ、わたし、帰る前に水浴びしてもよかやろっか♡」

 

 女賊の捜索は勝手に取りやめ。おかげで気分が楽になったのだろうか、友美が川の上流の方向を右手で指差し、大胆なことを言ってくれた。

 

「うわっち! 凄かこつ言いようっちゃねぇ、友美は☆」

 

 孝治は心臓が、ドキンと弾む思いになった。水浴といえば、着ている物を全部そっくり丸ごと脱ぐのが、世間一般の決まり事であるからだ。

 

 だけど水浴自体ならば、友美の希望を止める理由など、孝治にはなかった。それでも孝治の口調は、自分でもよくわかるほどのドギマギ状態となっていた。

 

「こ、こ、こん川ん上んほうっちゃね☝ た、確か、小さい泉があるっち、ここに来たときに地元ん人に聞いたっちゃけどぉ……☁」

 

 同時に孝治は、よく考えてみた。お互いきのうの夜から、いっちょも休む暇がなかったけねぇ⛑ おれも体ば、全然洗えんかったけ――と。

 

 そのせいだろうか、微妙に……臭う。これでは女の子であり清潔好きである友美の気持ちが、男である孝治にも、よくわかる――というものだ。

 

「よかよ☀ 行ってき☞ で、次はおれの番やけね♡」

 

「すぐ戻るけね☺ 覗いたらいけんよ☻!」

 

「覗かん、覗かん☻♨」

 

 最後に念を押してから、友美が上流に向かって駆け出した。

 

「さて、おれも顔洗うったいね☺ ついでに喉{のど}も渇いたけ……にしても、友美も大自然ん中で、思いっきり解放感に浸りたいんやねぇ☻」

 

 友美がいなくなったあとで、つまらない独り言をつぶやきながら、孝治は草原のススキをかき分けて前へと進んだ。

 

 ススキは長い葉っぱが刃物のように鋭利なので、うっかり触れたら肌を傷付ける。これだけが理由ではないが、鎧はまさしく、野外での必需品である。

 

 草原を抜ければ顔を洗うのにおあつらえ向きの小川が流れているのは、先刻からの承知済み。ところが、わずか二十歩程度だと思っていた川への道のりは、思ったよりもなぜか難渋だった。

 

 ここはよほどに、土地が肥えているらしかった。孝治の背たけよりも高く成長しているススキの群生が行く手を遮{さえぎ}り、目の前がまったく見えない有様となっていた。

 

 それでもなんとか、苦労の末に川の畔{ほとり}まで辿り着き、孝治は澄んだ水で、渇いた喉を潤{うるお}そうとした。

 

 そのときだった。

 

「だ、誰ね!」

 

 幅がせまい小川の対岸に、何者かの息づかいがあった。

 

 ススキもガサガサと揺れていた。

 

 孝治は怪しい気配の存在を認識した。


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