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『剣遊記番外編U』

第一章  古都の狼藉者。

     (11)

 勝負の瞬間は、今でも板堰の両方の網膜に焼き付いていた。

 

 あのとき烏賊不破が力任せに振り下ろした剣を、板堰はわずかに首を右に傾けるだけでかわし、紙一重の差であったとは言え、難なく避けることができたのだ。それが剣の一撃に渾身の力を込めすぎた烏賊不破には、道場破りが突如視界から失せたように錯覚したのだろう。しかもこの錯覚は、弟子たちも同じ。たったこれだけの思い違いで、パニックとなった道場主を討ち取るなど、猫の子を抑えるよりも容易な行ないだった。

 

 そのように脳裏で振り返りながら、板堰は一種の戦利品であるはずの烏賊不破道場の看板を、なんのためらいもなし。ドボォォォンと、渡月橋の上から桂川に投げ捨てた。

 

「名の通った老舗じゃっち思いよったら……長い名門気取りで腕がでーれーにぶっとーたわ♨」

 

 それが看板を捨てた言い分。

 

 実際、烏賊不破の前座で対戦をした弟子たちも、そろいもそろって問題にならないボンクラばかり。大方、近隣の貴族や騎士どもが、有名人の名を慕って息子を弟子入りさせたのであろう。しかしその中で板堰が見る限りでも、将来モノになりそうな逸材は、ただのひとりも見受けられなかった。

 

「さてと……♐」

 

 渡月橋から近くの森に入り、続いて板堰は、腰のベルトに装着している鞘から、右手で中型の剣を引き抜いた。

 

 たった今までの激闘を耐え抜いた、愛用の長剣を。

 

 だが峰打ちを連発したにも関わらず、板堰は刃こぼれがひどい有様の剣を目の高さまで持ち上げるなり、眉間にシワを寄せてつぶやいた。

 

「これもえれー駄目じゃのう……☢」

 

 道場破りのつぶやきに応じるかのごとくだった。長剣の真ん中あたりから、いきなりピキキッとひびが入った。さらにそのまま、加速度的にグニャリと直角に折れ曲がり、先端部がパキッと軽い音を立てて剣の本体から離れ、戦士の足元にカランと落ちた。

 

 あとに残った一物は、先の無い剣身のみ。

 

「ちっ!」

 

 舌打ちひとつを吐き捨て、板堰は先端を失った剣を、ポイッと足元の地面に投げ捨てた。そこへ剣を捨てたのと同時。森の端にある木の陰から、ひとりの男が歩み出た。

 

「ほう、これは剣が使い手の腕に耐えられへんかった……と言うことでんな♣」


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