『剣遊記[』 第二章 フェニックス伝説、その前日。 (8) (こげなはずやなかったとに!)
顔面真っ赤の思いで女湯の湯船に肩まで浸かる孝治は、先ほどからずっと、同じ愚痴をつぶやいていた。
顔が火照{ほて}るように熱い気がするのは、決してお湯にのぼせたわけではなさそうだ。とにかく原因は明らかに、別の方面にあった。そんな孝治の右横には、友美が心配そうな顔で寄り添っていた。ところが涼子ときたら、予想外だった話の展開を、むしろ楽しげに眺めてくれていた。
孝治は愚痴に追加をした。
(涼子んやつ……あとで覚えときや☠)
実際、最も凶悪なる男――荒生田は始末をした。これであとに残った野郎陣は、ノミの心臓である裕志と人畜無害な徳力だけ。おまけで言わせてもらえれば、ふたりともそろって草食系でいた(裕志には彼女がいるのだが、見た目にはまさにそのまま草食系)。
だからもう、孝治の操{みさお}(?)は大安全。孝治はいつものやり方で、奥手の裕志をからかってやるつもりでいた。つまり自分の女性の裸を見せびらかし、純情魔術師をのぼせ上がらせてやるっちゃね――と。
だが、その野望(?)は見事、清美によって打ち砕かれてしまったわけ。
「ちっくしょう……せっかく裕志におれの胸ば見せて、また鼻血地獄にしてやろうっち思いよったとにぃ……☠♨」
「ん? なんか言うたや?」
孝治を女湯に連れ込んだ清美は、頭にタオルを乗せるという定番のくつろいだスタイルで、やはり肩まで湯船に浸かっていた。しかも清美は清美で、わざと孝治に、自分の豊満な胸を見せつけていた。
裕志相手に実行してやろうとしていた意地悪を、そのまま逆転されたような格好である。
余談ではあるが、未来亭にいる女の子たちが胸自慢大会をもしも行なったとすれば、恐らく清美がかなりいい線に達するのではなかろうか。
最大のライバルが美奈子だとして。
ちなみに孝治も、参加資格があるのだろうか。
「い、いや……な、なんでんなか……♋」
清美の言葉にうつむき加減で返したものの、まるで天罰でも下ったかのようだった。孝治自身も鼻血の噴き出る寸前なのだ。
未来亭ではふだん、閉場間際の女湯に、孝治は入っていた。そうやって給仕係たちとの混浴を避けているので自分自身の体と、さらに涼子の裸身で培{つちか}っていたはずの女性の裸に対する免疫力が、このところいくらか低下していたのかも。
そのような現況を見透かしているような、清美の意地悪。それを自覚しているわけでもないだろうが、清美が同じ入浴中である三枝子に話しかけていた。
「なるほどやねぇ〜〜☻ こぎゃんして見たらあんたの体って、やっぱ格闘士ばいねぇ〜〜☺☞」
「そうけ?」
きょとんとした顔付きから見て、三枝子自身は大した自覚を持っていないようである。だけど孝治の瞳で(恐る恐る)見ても、三枝子の両腕の筋肉は頑丈そうなうえ、全身のあちこちに、大小の傷やアザの跡が浮かんでいた。
「そげんたい☛ 嘘やっち思うとやったら、あたいの体ば見てみんしゃい♋」
清美がバシャッと、湯船で立ち上がった。
「うわっち!」
そばにいる孝治の存在など、まるで眼中になしの振る舞いであった。 (C)2013 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |