『剣遊記[』 第二章 フェニックス伝説、その前日。 (7) 阿蘇山一帯は活火山なので、麓の温泉地も全国的に有名――なものだから、孝治たちの泊まっている宿屋も、建物の奥に大きな露天風呂を構えていた。
「おっ、早かったばいねぇ☀」
孝治、友美、涼子の三人は、遅れて入浴にきたつもりだった。ところが意外にも、清美たちはまだ温泉に入る前でいた。
おまけに徳力と裕志の男ふたり組も、入り口にて待機中をしていたのだ。
「あれぇ? みんなとっくに温泉に入っちょうっち思うとったのにぃ♋」
「別にわら(熊本弁で『おまえら』)待っとったわけやなか☻ どうせ孝治は荒生田の野郎とひと悶着やるに決まっちょうけ、そん間に温泉饅頭ば食ってコーヒー牛乳飲みよったとばい✌ それよか荒生田はどぎゃんしたとか?」
清美からの問いに、孝治は嘘で答えてやった。コーヒー牛乳っち、ふつうは風呂上がりに飲むもんばい――と思いながらで。
「あ、ああ……先輩はまた、街まで飲みに行っちゃったけ✈ 今夜ももしかしたら帰らんかもね☻」
阿蘇山一帯は有名観光地でもあるので、歓楽街もかなり充実していた。だから一時のごまかしであれば、この程度の嘘でも充分に説得力があった。現に清美は孝治の嘘八百に、まったく疑問を感じていないご様子。
「けっ! 相変わらずな野郎ばいねぇ☠」
これはむしろ、荒生田の日頃の行ないのほうに、大きな問題がありそうだ。
「じゃあ、ボクたちはこっちやね♐」
「うん♥」
荒生田など気にもしないで、徳力が裕志といっしょに男湯の入り口へ向かった。
「それじゃ、あたしも入るね☺」
「わたしもっと✈」
『あたしもね♪』
三枝子も女湯の暖簾{のれん}をくぐり、そのあとから友美と涼子(?)も続いた。
「じゃあおれも、ひとっ風呂浴びるっちゃね♪♫♬」
そう言って孝治は、男湯の暖簾のほうをくぐろうとした。ところが清美が、孝治の軽装鎧のうしろ襟首をいきなりつかんで、グイッとうしろに引っ張った。
「ちょい待ち! ぬしゃ入る場所がひちゃかちゃ(熊本弁で『メチャクチャ』)違ごうとろうが☻☠」
孝治は慌てて振り返った。
「うわっち! なして!」
あっと言う間にとまどい状態となった孝治に、清美がぬけぬけと言ってくれた。
「どぎゃんして孝治が男湯に入るんけ! ぬしは女湯やろうが!」
「うわっち! おれは男ばい!」
ここで身もフタもないセリフを、孝治は叫んだ。しかし清美は、まったく聞き入れてはくれなかった。
「昔はそうばってん、馬鹿んこつ言わんとき! 戸籍の変更でもって、ぬしゃ法律上も女になっとうやろうが!」
「うわっち!」
清美の言うとおりだった。急な性転換(?)による孝治の性別変更手続き(この世界にはあるらしい)の件は、ずっと以前に述べてはいたが、それらはすべて終了済みとなっていた。だからもしもこの先、再び男性に戻る事態があったとすれば、また小むずかしい書類の書き換えを行なわないといけない――のだが、そのときはそのときの話。
つまり現時点において、孝治は法律上、完全なる女性として取り扱われていた。
「そぎゃんことやけ、孝治は女湯に入るとが筋ってもんばい、やけんこっち来や☢☻」
「うわっち! そ、そげなぁ! 戸籍はそげんでも、おれは精神的にはまだ男なんやけぇ……☠☢」
「ばたぐるう(熊本弁で『ジタバタする』)んやなか!」
孝治の御託には一切耳を貸さず、清美は強引に法律上の彼女(?)を、女湯へと引きずり込んだ。
合掌。 (C)2013 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |