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『剣遊記閑話休題編U』

第一章  ヴァンパイア娘、初めてのおつかい。

     (5)

 彩乃の訪れた店は、黒川の町で最も歴史があると言われる、『水晶亭』という名の老舗宿屋。

 

 彩乃はそこに訪問を告げるなり、店の従業員から建物の一階の一番奥にある執務室へと案内された。

 

「なるほどぉ、未来亭の黒崎しゃんからのおつかいですけぇ☆ こぎゃんまたうつくしかお嬢しゃんが、よう遠かとこからひとりで来んしゃったもんばいねぇ……♡」

 

 水晶亭の店主――清滝{きよたき}氏なる人物は、体の塩梅{あんばい}があまり良くないようでいた。白一色の頭髪はともかく、顔色はかなり青ざめ、執務机で苦しそうに、または窮屈そうな感じで、椅子に腰掛けていたからだ。

 

 だから彩乃は清滝氏をひと目拝見するなり、声には出さないよう、絶対に聞かれてはいけないひと言をつぶやいた。

 

(なんか血が不味そうばいねぇ……ぞーたんのごとヴァンパイアかて、これやったら血ぃ吸うのばお断りばってんねぇ☠)

 

 むしろ彩乃は、清滝氏の左横に立っている、恐らくは自分よりはずっと年上と思える好青年のほうに、大きな関心を寄せていた。

 

 その整った紺の背広を着こなしている身なりが、彩乃の乙女心をよけいに、また大いにくすぐってくれるのだ。

 

(いったい誰なんやろっか? なんか、いんやーぎん(長崎弁で『なんだろう、この人』)なんやけど、けっこうええ顔ばしとんばいねぇ♥ ばってん、清滝さんの執事さんやろっか? う〜ん、ダイかわからんとやけど、どうも清滝さんと血縁関係ばありそうなんは間違いなかばってんねぇ……☻)

 

 これらの(ある意味失礼な)考察は、血液学に蘊蓄の深いヴァンパイアならでは(?)の直感。

 

「ところで、七条彩乃しゃんと言いましたがいな?」

 

「あっ、はいはい!」

 

 そこへいきなり水晶亭の主人から名を呼ばれ、いつもは肝が据わっているはずの彩乃の心臓が、思わず激しく鼓動。執務室内で軽くジャンプをした。

 

「あってま、なしてでしょう!」

 

 彩乃の他愛のない慌てっぷりが、清滝氏の表情に、柔和な笑みを浮かべさせた。

 

「あーた、今晩の宿ばどぎゃんなさる気ね? こん黒川でさるく(熊本弁で『歩き回る』)ぐらいやったら、うちの水晶亭に泊まってったらどぎゃんね?」

 

「ええっ♡ ほんに良かとですかぁ♡」

 

 彩乃はパッと、明るい笑顔になった。これはまさに、彩乃にとっては願ったり叶ったりの話。彩乃が初めっから計画をしていたとおり、仕事である手紙を渡す任務が終了すれば、あとは勝手に宿を取り、この黒川温泉に長く滞在する腹積もりでいたからだ。

 

 ただし、旅の路銀を頂いているとは言え、長期の宿泊費としては、少々物足りない思いもしていた。だから足が出た分、自腹も覚悟していたのだ。

 

 彩乃はここで、思いっきりに言い切った。

 

「ここに無料で泊めてもろうて良かなんですかぁ♡ やったぁーーっ♡ 最高ばぁーーい♡」

 

「あ、ああ……まあ、ええやろ♥ 未来亭しゃんには今回、世話になるこつほうらつかあるけんねぇ♥ それにむぞらしか可愛いお嬢しゃんやし♡」

 

 ここで子供気分になってはしゃいだ彩乃の耳に、清滝氏が口から出したセリフは、ほとんど入っていなかった。

 

 早い話が、誰も無料で泊めてあげるとは、ただのひと言も言ってはいない。従ってこれは、彩乃の純然たる早とちり。しかしこうまで勝手に話を決めつけられた以上、清滝氏は黙って、それを受け入れる感じになっていた。


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