『剣遊記閑話休題編U』 第一章 ヴァンパイア娘、初めてのおつかい。 (1) 「では、よろしく頼むがね。仕事は手紙を渡すだけの簡単なものだが、くれぐれも注意を怠らないようにするだがや」
「はぁ〜〜っい♡ わっかりましたぁ〜〜っ♡」
未来亭で勤務を始めて長い経歴を誇る、給仕係の七条彩乃{しちじょう あやの}。彼女が店長である黒崎健二{くろさき けんじ}氏からの特別の御指名で出張仕事を請け負った時刻は、この日開店をして、まもなくのころであった。
出発に先立ち、彩乃は同僚の給仕係一同から、店の正面出入り口で、温かいお見送りを受けることとなった。
「よかにぇ〜〜、彩乃はぁ〜〜☇」
「ほんと、うらやましいぞなぁ〜〜☈」
だけれど夜宮朋子{よみや ともこ}を始め、皿倉桂{さらくら けい}たちみんながみんな、彩乃の出張をある意味、妬んでいる様子丸出しでもあった。
「ほんにゃこつ、未来亭に勤めてにゃがいって言って、店長から遠くへのおつかい仕事ば頼まれてにゃあ♠ ついでにゃけきっと、途中で遊んで帰るんでしょ♣ それも特別手当て付きにゃんにゃけぇ♨」
「にゃに言って……やだ移っちゃった☆ とにかくわたしかて、いっときぶりの本格的出張で、けっこう緊張しとんやけね! それにずっと前に行ったときは孝治くんへのただの伝言やったけ、きばるほどのこともなかったんばい♨ そやけ、自分で言うのもなんばってん、早い話がただの伝書鳩みたいなもんばい☁☂」
彩乃は朋子に、あまり反論にはなっていない反論を返してやった。それでも朋子の猫しっぽが左右にプルンプルンと振られている様子もチラッと見て、くすっと吹きだしたりもする。
かく言う彩乃自身、実は今回初めて訪問をする町への期待で、胸がワクワクドキドキの高揚を続けていた。ここ(未来亭の正面出入り口)には鏡が無いからわからないが、たぶん彩乃の瞳は、漆黒から金色に変色しているだろう。これも彩乃が属する、ヴァンパイア族の性質。気分の浮き沈みによって、瞳の色がカメレオンのように、コロコロと変わるのだ。ちなみに気分がさらに高揚――あるいは激昂したときは、金色が赤へと変わる場合もあった。
見ようによっては、凄く怖い感じもする性質なのだが。
それより瞳の色はともかく、今回の出張先にはなんと言っても、彩乃の大好きな――さらに日本全国の女の子たちの憧れ――天然温泉があった。これでは意気込みの入れ方も、断然的に違ってきて当たり前。だけれどここで、同僚たちといっしょに見送りに来ている給仕係のリーダー一枝由香{いちえだ ゆか}が、鶴のひと声。
「さあさあ、みんな彩乃のお見送りば済んだら、お店の仕事が待っとんばい♪ 彩乃も早よ行かな、店長から怒られるっちゃよ♫」
「あっと、えすかこつなるとこやったわぁ♡ そいぎんたみんなぁ、行ってくるけんねぇ♡」
肝心の仕事を思い出した(忘れんなよ)彩乃は、慌てた調子で見送る仲間たちに両手を振った。
それからパッ バサバサバサッと、給仕の制服――黒を基調とした色のメイド服を着た少女の姿が、一瞬にしてコウモリへと変貌。それもふつうのコウモリのサイズではない。なんと開いた翼の端から端までの長さが、大人が両腕を思いっきり広げた場合と、ほとんど同じくらいの大きさがあるのだ。
その大コウモリが未来亭給仕係一同が見送る前、雲ひとつない快晴の空へと舞い上がった。
また、これはあまり目立つ件ではないが、コウモリの首には出張先に持っていく手紙が入っている、小さな手提げカバンがぶら提げられていた。
これが無ければ、出張とは言えない。 (C)2014 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |