『剣遊記T』 第三章 押しかけパートナーと天然系依頼人。 (6) 朝が来た。
けっきょく、あの騒動のあとでは、きちんと眠れるはずもなし。おかげで孝治は、もろ寝不足の状態でいた。
ベッドからゴソゴソと這い出し、机の引き出しから出した手鏡で自分の寝呆け顔を覗いてみれば――まさに友美から指摘をされたとおり、美容に悪いクマだらけのツラだった。
ちなみに孝治とて、誇り高き(?)戦士の端くれ。それなりに格好を、気にしている性分である。従って鏡は、男のときからの必需品にしていた。
とにかくそんな、しまらない顔のまま、孝治は部屋を出た。朝の挨拶で、一階の酒場へと向かうために。
この一方で孝治とは対照的に、友美は問題が解決した気持ちになっているらしかった。幽霊との話が着いた(?)あと、さっさと自分の部屋へ戻り、現在二度目の熟睡を堪能中でいた。
早い話が、大した肝っ玉ぶりである。まあ、いくら朝が遅くしても、一向に困らない身分ではあるけれど。
とにかく友美はそのまま起こさないで、孝治は一階に下りてみた。
早朝の店内は、まだ開店作業も始まっていなかった。だけど厨房横のカウンターには、給仕長の熊手ではなく、なぜか店長の黒崎がいた。
未来亭の閉店は、毎日午後が午前に変わる時刻である。そのため朝から深夜まで経営の仕事に励む黒崎店長の睡眠時間は、とても短いはずなのだ。それなのに今も血色の良さそうな顔をして、元気にカウンターの台の上を、布巾{ふきん}でゴシゴシと拭いていた。
秘書の勝美でさえ、恐らくまだ眠っているに違いないのに。
もちろん黒崎は、階段を下りている途中の孝治に、すぐに気がついてくれた。
「どぎゃんしたがや。ゆっくり寝ろと言うとったのに、その顔はよく寝てない顔だがね」
孝治は苦笑した。
「わかりますけ?」
孝治も黒崎からこの点について指摘されるっちゃろうねぇ――と、大方の予測はできていた。いつも身なりその他で注意をされることが多いものだから。
その黒崎から、今朝も注意をされたわけ。
「誰が見てもわかるがね。目の周りにパンダ🐼みたいなクマができとうがや。そこの鏡で見てみろ」
「やっぱ、目立つっちゃねぇ〜〜☠」
黒崎から言われたとおり、孝治はカウンターの右横に建つ柱に設置されている、大型の鏡に映った自分の顔を、改めて見直した。すでに自分の部屋で拝見済みではあるが、ふたつの瞳の周囲は、見事な真っ黒極まるジャイアントパンダ🐼となっていた。
「こりゃきょう一日{いちんち}、恥ずかしゅうて外には出られんばい☂」
孝治は深いため息を吐いた。そこへ追い打ちのごとくだった。黒崎が孝治に尋ねてきた。
「そう言や、夜中に小さい地震を感じたんだが、孝治は覚えとらんか?」
「うわっち!」
孝治の心臓が、大きくドキッと鼓動した。やはりと申すべきなのか、涼子が起こしたポルターガイストが、未来亭全体に波及していたらしいのだ。
だからと言って、本当のことは言えなかった。孝治は慌てて、頭を大きく左右に振った。
「し、知らんかったです……はい☃」
朝一番の横振りだったので、昨夜からの頭痛が再発した。それでも自分で苦しいとわかっていながら、孝治はこの場しのぎの言い訳を、速攻でペラペラと並べ立てた。
「な、なんせ、ぐっすり爆睡しとったけ! 阿蘇と桜島が噴火したかて絶対起きんくらいですね!」
「そんなに爆睡して、目の周りにパンダ級のクマかね?」
「うわっち!」
孝治を見つめる黒崎の目は笑みを浮かべているようでいて、いつも以上に鋭い光を放射していた。
このように、言い訳が簡単に見破られるのも、孝治の数多い致命的弱点のひとつであった。また、その弱点に早急に突っ込める早業が、黒崎の得意技のひとつなのだ。
(し、しもうたぁーーっ!)
今さら心で叫んでも、後の祭り。それがわかっていても、この場をごまかさないわけにはいかない。孝治は必死の思いで、悪あがき(自覚済み)の言い訳を繰り返した。
「い、いや、そのぉ……きのうはほんなこつ、寝すぎちゃったとですよ! やけん、寝すぎで反対に精神が疲れちまったんですねぇ……ははっ☻」
「そうか」
孝治の言い訳の薄弱ぶり、論理の破たんなど、とっくにお見通し済みなのが一目瞭然。冷や汗😅たらたらの孝治を前にして、黒崎は軽く受け流すかのような素振りで応じ返してきた。布巾を流し台で手洗いしながら。
「寝すぎるのも逆にいかん、ということだな」
しかしその目はしっかりと、『嘘吐くんじゃないがや』の要素をにじませていた。
「まあ、なんにしろ、けっきょく疲れは取れなかったようだがや。それで、今も疲{つか}れてるのか?」
「ええ、確かに憑{つ}かれてますよ☠」
黒崎から受ける戦慄は、この際いつもの話。孝治はげっそりとした気分で、未来亭の若い店長に、暗い感じの返事を戻した。 (C)2010 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |