『剣遊記T』 第三章 押しかけパートナーと天然系依頼人。 (17) 孝治は本当に、黒崎の帰りを夕方まで待っていた。
おのれの意外な執念深さに孝治自身、非常に驚いたものだった。
(これかて、おれが女性になったせいやろっか? やっぱしおれは体だけやのうて、性格も変わってきようみたいやねぇ……☠)
それ以上の自己分析は、このままにしておく。それよりも今は、黒崎への文句が重要なのだ。
「て、店長、入りますばい!」
ノックも省略。孝治は執務室のドアを、バーンと乱暴に開いた。
「孝治くん、そがん入り方はいかんばい♨」
部屋の中には黒崎ともうひとり、秘書の勝美もいた。孝治は押し入った勢いのまま、部屋のソファーに、ドスンと腰を下ろした。はっきり言って、雇われている者が、雇い人に対して取れる態度ではなかった。
「どうした? なんだか機嫌が悪そうだがや。もう少し女性らしく、お淑やかにしたらどうだがね」
黒崎は外出から戻って、まだ間もないはずである。それなのに早くもふだんどおり、机に鎮座して書類を整理中。
いつもとまったく変わりがなし。だけど、その余裕しゃくしゃくぶりを見るだけで、孝治の腹は、さらに煮え繰りを増してくるのだ。
「機嫌も悪うなるっちゃよ♨ 今度の仕事なんやけど、女性ふたりの警護はようあることやけ、それはそれでよか✋ ただやねぇ、今回は性格に問題が大有りなんやけねぇ☠」
「ほう、性格に問題ねぇ」
それでも黒崎の能面に変化はなし。対照的に勝美のほうは、小さな眉間に(ピクシーなので)、これまた小さなシワを寄せていた。ついでに背中の羽根も振るわせ中。
「なん言いよっと☹ 女ん子がそがん態度ばとったら、それこそ世間から笑わるっばい♠」
「わかっとう!」
孝治は勝美からの小言を、頭が痛い気分で耳に入れた。ここで黒崎が椅子から立ち上がり、孝治に尋ねてきた。
「いったいどうしたがや? 今回の依頼人と、なにか相性でも合わんのか?」
孝治は苦虫を二百五十二匹分噛み潰す思いで、黒崎に答えた。
「そ、そうたい♨ 依頼人の師匠とやらは究極の天然系やし、そん弟子は小生意気なくせして、いっちょん性格がつかめん泣き虫なんやけ☂」
孝治の頭の中では、今も美奈子と千秋の妙ちくりんな笑顔が浮かんでいた。おまけに美奈子が変身したキングコブラの姿も、孝治の脳裏に、しっかりと焼き付いていた。それを思い出すだけで、背中の筋がゾクゾクゾクッと、今でも薄ら寒くなってくるのだ。
だが、孝治の寒気うんぬんなど、黒崎と勝美には、やはりなんの関係のない話だった。
「そんなわがままは通用せんがや。君はいつもどおり、仕事に精進{しょうじん}すればいい。依頼人の性格まで、関知することではないがね」
「そうそう、そがんこどん(子供)みたいんこつ、言うたらいかんとばい☀」
ここは現状を知らない者の強みであろう。黒崎はどこまでも、ワンマン経営者の態度と威厳。勝美は有能秘書の姿勢で応じてくるだけでいた。
「戦士に雇い主を選ぶ権利はにゃあ。これは業界の常識であり鉄則だがね」
「そ、それは……ようわかっとうけ☠ ただぁ……できるもんやったら、今回だけは誰か別ん人に代わってほしくなってきたっちゃねぇ〜〜、っちゅうとこなんやけどぉ☁ 前言撤回みたいな言い方ばして、我ながら悪いっち思うとやけどねぇ☻」
「残念ながら、そうはいかんがや」
孝治としては、自尊心を多少放棄してでも、黒崎に甘えてみたつもり。だけどもやっぱり、敏腕店長には、一切通用しなかった。
「依頼人は……天籟寺美奈子さんだが、彼女は戦士の護衛を我が未来亭に直接要望されたがや。しかしあいにく、専属の戦士は現在孝治以外、全員出払っている最中だがね」
「その言い訳、前にも言わんかったですか?」
孝治のわずかばかりの抵抗であるツッコミにも、黒崎は眉ひとつ動かさなかった。それどころか逆に勝美から、孝治はひと言で返されてしまった。
「そがんちかっと(佐賀弁で『少し』)くらい、気にせんとき☀」
さらに黒崎が話を続けた。
「まあ、聞くがや。とにかくこれでは、未来亭の沽券{こけん}に関わる話だがね。そう言うわけで、帰ったばかりを申し訳ないが、孝治に白羽の矢を立てたわけだがね。これはある意味、渡りに舟だったがや」
「いっつも適当に割り振っちょるくせに☠」
孝治の繰り返しであるツッコミも、やはり相手にはされなかった。黒崎は低レベルな口答えなど、まったく意に介さない男なのだ。
「まあ、天籟寺さんは、戦士は特に女性を、と希望されていたので、その点ならば孝治は、まったく問題にゃあがね。むしろ禍{わざわい}を転じて福と為す、で最適だがや」
「禍{わざわい}ば転じて福と為す、ねぇ……なんか初めっから、おれが指名されたみたいな話なってきたとやけどぉ……☠」
「それは単なる偶然だがね。気にすることはにゃーがや」
などと黒崎は、どこまでも澄まし顔。
「あ、そう、それじゃあ女戦士やないといけん理由って、なんですか?」
これは孝治の最後の抵抗――疑問である。だが、黒崎に答える意思は、やはりカケラも存在していないようだ。
「理由など訊いてにゃーがね。とにかく依頼人からの要望には最優先で対応する。理由など問わないのが、護衛戦士の本分だがね」
「は、はあ……☂ おれかてそれば、身に沁みてようわかっちょりますけ……☁」
孝治は美奈子の部屋で、友美と話し合っていたことを思い出した。美奈子さんばどっかで見たような気がするっちゃけど、それはもう触れんでおこうっちゃね――という、なんとなく気になっているのだが、けっきょくその思いは、棚に上げたことを。
それにしても孝治は完全に、黒崎に言い負かされている自分を、いつもながらに実感した。おまけでもうひと言。孝治は黒崎から心臓にズブリと、まるで極太五寸釘で刺されるようなセリフまでもちょうだいした。
「まさかとは思うんだが、僕からの頼みが聞けない……とは言わにゃーだろうねぇ」
黒崎の右隣りでは勝美が宙をふわふわと舞いながら、いたずらっぽそうな顔で、くすくすと微笑んでいた。 (C)2010 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |