『剣遊記T』 第三章 押しかけパートナーと天然系依頼人。 (11) 「うわっち!」
きのうも涼子の声が、直接頭に響いたばかりだった。ところが今響いた声は、飛びっきり最上級の美声であった。驚いた孝治はすぐに、部屋の中を四方八方、キョロキョロと見回した。
もちろん美声の主の姿はなし。孝治の胸の中で、コブラへの恐怖が脇に置かれ、代わってイライラ感が生じてきた。
「またどっかに幽霊でもおるとね♨ 話が定番すぎやろうも♐」
『もう、なんでんかんでん幽霊のせいにしてからにぃ♨ いったいなんがありよっと?』
ところが孝治のイライラも涼子のふくれっツラも、声の主には、まるで関係のないご様子。
(ご安心しておくんなはれ☺ 妾{わらわ}は幽霊ではあらしまへん✋ それにあなた様の依頼人である天籟寺美奈子どしたら、もうこの部屋におりますさかいに♡)
孝治は謎の声に向け、すなおな態度で返してやった。
「おりますさかいって、いったいどこに隠れとっとや!」
ムカつきから狼狽に変わりつつある、実にすなおな態度で。
それから孝治はイライラもムカつきも超え、半分パニックの心境となってきた。だが謎の美声――女性の声は、友美の耳――いや、頭にも届いていたようだった。その友美が、魔術の蘊蓄{うんちく}を開花させるように声を上げた。
「わたし知っとう! 涼子ん場合と違うっちゃけど、これって自分の考えば人に送る術……『以心伝心{いしんでんしん}』ばい!」
「うわっち……なるほどぉ……それならおれかて聞いたことあるっちゃね☆」
友美ほどの知識はないが、孝治も名称くらいは知っていた。
「確かぁ……自分の考えば、周囲にばら撒く魔術っちゃね★」
ついでに心の中だけで付け加える。
(それっち、すっごう迷惑な術っちゃねぇ☠ 人ん頭ん中に、勝手に割り込むっちゃけ☠)
「正解っ! よっくできましたぁ!」
孝治の本心など知らぬが仏で、友美が右手でピースサイン✌をしてくれた。すぐに涼子が突っ込んだ。
『ふたりとも、こげなとこで漫才やりよう場合じゃなかでしょ♨ それよかほんなこつ、なんか聞こえよっと?』
「うわっち! 涼子には聞こえんかったと?」
孝治はこのとき、意外な事実に気がついた。涼子だけが、この場で起きている不思議な出来事を、なんだか知らない感じでいるのだ。
『なんかようわからんちゃけど、あたしにはなんも聞こえんけね!♨』
涼子はひとりだけ仲間外れにされているような、不機嫌丸出しの顔となっていた。
「そ、それはぁ……なんでやろ?」
孝治も涼子だけが部外者となる理由がわからなかった。だけどその謎の究明は、今は後回しとなりそうだ。友美が右手でベッドの上のキングコブラを指差し、大きな声を上げたからである。
「い、今の声……あのコブラから出とるっちゃよ!」
「うわっち! それって、ほんなこつ!」
ひとり蚊帳{かや}の外状態でいる涼子には、この際我慢をしていただく。それより孝治も、白いコブラに瞳を向けた。そこで再び、頭に先ほどからの声が響いてきた。
(この格好のまんまでは、なんの話もできまへんどすなぁ✄ 今、元に戻りますよってに、ちとお待ちになっておくれでやす♡)
「は、はい……こん格好っち、なんね?」
とにかく声に圧倒され、孝治は思わずの直立不動。そんな孝治に、友美がそっとささやいた。
「この訛り……京都弁やねぇ✍」
「京都弁けぇ……✎」
孝治もコクリとうなずいた。
京都弁とはまた、伝統的な方言だった。
京都を首都と定めながら、歴代の織田皇帝は、信長{のぶなが}公以来のしきたりだと強弁。織田家発祥の地――名古屋弁を愛用していた。
だが京都には追放以前の皇室が、代々居を構えていた歴史があった。それが関東に移ったあと、京都の人々には言わばよそ者である織田皇帝を、心中で密かに軽んじている雰囲気があるのだ。
その歴史が本当の理由かどうかは、孝治にはわからなかった。しかし標準語に定められている名古屋弁を、京都の人たちは、断固拒否。たとえ皇帝の面前でも自分たちの訛りを押し通す、頑固で一途な面を、京都の人たちは伝統的に代々伝え続けていた。
解説終了。
『う〜ん、やっぱしあたしだけ、なんもわからんみたい☠』
完全にひとりだけ、この場で浮いている涼子(幽霊だから実際に浮いている)も含め、孝治、友美の三人が見守る前だった。白いキングコブラの長い体が、突然ピカァーーッと、激しく発光を始めたのである。 (C)2010 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |