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『剣遊記T』

第三章 押しかけパートナーと天然系依頼人。

     (10)

 やはり三百二十一号室には、誰もいなかった。

 

 部屋の形状は長方形。広さが八畳ほどある空間の中に、備え付けのベッドが二台。左右の壁際に置かれていた。また、外の街並みが眺められる窓際には、木製の机が一台だけ。左側の壁には、専門の魔術師が好んで着用する、全体が黒一色で頭からスッポリとかぶれる、フード式の黒衣が三着。ハンガーで提げられていた。

 

 これば着たら、下ん部分が地面ば引きずりそうやねぇ☠――そんなつまらない思いを孝治に抱かせるような、とても長い黒衣であった。

 

「やっぱ、本職の魔術師は違うっちゃねぇ〜〜♥」

 

 自分も同業で本職の魔術師である友美も、黒衣を眺めてポツリとつぶやいた。ただし、友美に黒衣を着る趣向はなし。すでに何度も前述してあるが、孝治と同じ革鎧が、友美の正装なのだから。

 

 魔術師の衣装について、これだと決めた法律が、特にあるわけでもないので。

 

「依頼人が魔術師っちゅうのはようわかったけ、それよかほんなこつ留守みたいやねぇ☹ 約束んこつ、忘れとんやろっか?」

 

 孝治も黒衣に瞳を向けた。この服の着用主が不在であれば、ここはいったん、出直すしかないだろう。それなりに気を張っていた孝治は、なんだか出鼻をくじかれたような気持ちになってきた。

 

 だが、そのときだった。

 

「うわっち?」

 

 孝治は部屋の左側のベッドに敷かれている桃色の毛布の下で、なにかが動いた様子を感じた。

 

「……な、なんやろっか?」

 

 無人の部屋で、なにか蠢{うごめ}く気配があれば、誰もが気に懸ける事態となる。孝治も、その例に洩れなかった。すぐに蠢くなにかを見定めようと、孝治は思い切って毛布の端を両手でつかみ、そのままガバァッと剥いでみた。

 

 次の瞬間、孝治はいつものごとく、天井近くまで飛び上がった。

 

「うわっちぃーーっ! ど、ど、ど、毒へびぃーーっ!」

 

 これも何度も繰り返すが、孝治とて戦士の端くれ。野外での活動が仕事の本分であり、領域である。だからふつうの無毒のヘビであれば、決して苦手ではなかった。ただ、毒蛇の類が大嫌いなのだ。

 

 しかも、毛布の下――ベッドの上にいたモノは、マムシのような生やさしいシロモノではなかった。長い体でとぐろを巻き、太い鎌首を上げ、赤い二股の舌を不気味にチロチロとさせた、史上最強の毒蛇――キングコブラだったのだ。

 

 おまけに全身――頭から尻尾の先までが、完全無欠の白一色。これは一種の、白色変種{アル}型に違いない。

 

 無論白でなくても、驚天動地の事態である。天井まで飛び上がり、重力の法則で板張りの床に落下。見事な尻餅をつくというカッコ悪さを、孝治は友美と涼子の前でさらす結果となった。はっきり言って、さらしてばかりである。

 

 けれど、いつまでもカッコ悪いとこを見せている場合ではない。尻餅の格好からピョコンと立ち上がり、孝治は友美と涼子に向かって小さめの声で、静かに注意をうながした。

 

「よ、よかや……☠ こんまんまそっと、こん部屋から出るっちゃよ☠ こっちが刺激せんかったら、コブラかて無闇に噛みついてこんもんやけ☁」

 

 などと、偉そうには言ったものの、孝治は半分、腰が抜けていた。そのため足取りは、これまた見事フラフラに、いわゆる千鳥足状態となっていた。

 

「わ、わかっとう……け☃」

 

 それでも眼前に、コブラが存在しているのだ。友美も緊張で、身を固くしているようだった。しかし涼子だけは、小憎らしくも鼻歌気分な感じ。平気の平左でコブラに近づいていた。

 

『あたしやったら大丈夫やけね♡ それによう見たら、このコブラちゃん、けっこう可愛い顔ばしとうっちゃねぇ♡』

 

 確かに幽霊ならば、毒蛇を恐れる必要など、微塵もなし。だけど端から見れば、非常に腹が立つ振る舞いともいえた。

 

「勝手に可愛がっちょけ! 涼子んこつは、いっちょも心配しちょらんけ♨」

 

『まっ! 失礼しちゃう☠』

 

 孝治のムカつき丸出しで、涼子がまた、両方のほっぺたをふくらませた。そんな幽霊には構わず、孝治は友美を相手にささやいた。

 

「それよか、今は静かに退散やね☢ きっとこんコブラは天籟寺美奈子さんの使い魔やろうけ☢」

 

 ささやきと同時に、孝治はつまらない文句も忘れなかった。

 

「どうせ使い魔ば飼うとやったら、もっと可愛い愛玩動物にしたらよかっちゃのにねぇ☹☻」

 

 友美もこれに、ちょこっと笑みを浮かべた感じで応じてくれた。

 

「なんか、とにかく世の魔術師って、なぜか好んで気味の悪か動物ばっかし、使い魔にする傾向が多いっちゃね☺ わたしもおんなじ魔術師なんやけど、そこんとこまるで理解できんとよ☻」

 

「ほんなこつ☹」

 

 キングコブラに感じる恐怖心。さらに危険な使い魔を放置状態にしている、無責任な依頼人に対する腹立ち。これらが同居をしている心境に、現在の孝治は置かれていた。もちろん友美も。しかし今はそ〜っと、コブラを刺激しないよう、部屋から出るほうが先決といえた。

 

 そこへまた、突然だった。孝治の耳――いや頭に、優雅な女性の声が、直接響いてきた。

 

(そないに慌てないでおくれでやす♥ ここにおる白蛇{はくじゃ}は、使い魔ではあらしまへんのやで♥ そやさかい、どうか落ち着いておくんなはれ♥)


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