『剣遊記[』 第一章 女格闘士、御来店。 (3) 「べろべろばぁ〜〜♡」
「きゃん♡ かぁ〜〜わゆぅ〜〜い♡」
赤ん坊がキャっキャっと微笑みを浮かべるたびに、居並ぶ給仕係たちが喜んで拍手を繰り返す。赤ん坊の髪と母親の髪が、まったく同じ緑色であることは不問にして。
きょうはひさしぶりに、以前未来亭に住んでいた女盗賊の穴生律子{あのう りつこ}が、先月出産したばかりの長女――祭子{さいこ}を抱いて、店を訪れたのだ。
ちなみに律子の夫和布刈秀正{めかり ひでまさ}は孝治の親友であり、夫婦で盗賊業を営んでいる。
ところが長い間出産で御無沙汰をしていた律子と再会したとき、孝治はその変貌ぶりに、正直驚いたものだった。
「り、律子ちゃん! そん髪、どげんしたと?」
「ああ、これ、大したことなかよ☻」
律子本人は事もなげに片付けたのだが、周囲にとっては、まさに大事件であった。それは出産前から緑がかっていた律子の髪が、完全なる緑色に変質していたのだ。
もちろん誰もがいの一番に、律子親子の髪について尋ねてみた。だけど律子は、さらりとかわしてくれた。
「流行に合わせて染めてみただけなんばい♠ やけん気にせんでよかとよ♣」
孝治はふとつぶやいた。
「……流行ったって……子供まで染めるやろっか、ふつう……しかも相手は赤ちゃんばい♐ まるでヤンキーママみたいっちゃねぇ✎」
「よかやなかね、ほっといて! それよか孝治くんかて、ますます女性に磨きがかかりよろうも☛」
「うわっち!」
律子の鋭い逆襲が、孝治をして思わずタジタジとさせた。
今の会話からもわかるとおり――わかりにくいかもしれないけど――孝治は今でこそ本格的な女戦士を勤めているけど、ちょっと前までは立派な男性。それがあるとき、不幸な魔術のトラブルで不本意な性転換を遂げてしまい、その日以来やむなく、女性として生き続けているのだ。そんなものだから今の律子のセリフ――『女に磨きがかかった☆』――は、孝治の心臓にズブリと剣のごとく、深く突き刺さっていた。おまけに近ごろでは、化粧まで上手になってきている始末。これでは律子の指摘に、なおさら反論できない有様。
「磨きがかかっとうからっち、わたしの亭主にチョッカイば出したらいかんばい☻☠ あくまでも友達関係なんやからね♐」
「あんねぇ……わかっとう……っちゃよ☁」
一応文句が出かかったものの、この時点で孝治は律子に降参した。律子はこれでけっこう気が強いので、夫君の秀正も尻に敷かれている有様だが、孝治にとっても実は、あまり頭が上がらない存在なのである。
このような律子と孝治の会話を聞いていた周囲の者たちが、人の気も知らずに大爆笑。
「きゃははははっ! おもろかぁ〜〜!」
由香の笑い声が、特に大きく響いていた。そのついででもなかろうけど、夫である秀正の現況について、律子が簡単に説明してくれた。
「それよかきょうは御免ばいね☺ 本当は夫婦そろってみんなに挨拶ばせんといけんのやけど、うちの宿六ったら、大学の遺跡発掘調査に雇われて行ったもんやけ、きょうはわたしと祭子のふたりだけなんよ☺」
「待望の赤ちゃんが産まれたんやけ、秀正くんかて張り切るっちゃよ☆」
友美が律子の右横から、ポンと左肩を叩いて励ましてやった。
そんな最中であった。未来亭に畑三枝子が現われたタイミングは。 (C)2013 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |