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『剣遊記[』

第一章  女格闘士、御来店。

     (14)

 台風が去ったあと、部屋には呆然と立ち尽くす裕志だけが残された――わけではない。実はもうひとり、部屋の中にひっそりと隠れていた。

 

 裕志の部屋の片隅――ベッドの右横に大きなバケツがひとつ置かれ、中には水がタップリと入っていた――のだが、そこから声が発せられた。

 

「でたんエラかこつ、なっちゃったばいねぇ☠ 荒生田先輩まで来るっちなったら、きっと孝治くん、ちゃっちゃくちゃら(筑豊弁で『滅茶苦茶』)に怒るっちゃよ♐」

 

「う……うん、そりゃわかっとうばい☂☁」

 

 うなずく裕志の背後で、バケツの水が小山のように、一般常識では有り得ない感じで盛り上がっていく。しかもその水がだんだんと、かたちを形成していった。

 

 初めは人の型をした、半透明な水の彫像に。それからしだいに、肌色の色彩が浮かんで、給仕係の由香となる。

 

 もちろん裕志は、由香がウンディーネ{水の精霊}であることを承知しているので、別に驚きもしなかった。さらに由香が、なぜ裕志の部屋にいるかの理由についても述べよう。初めは裕志があしたの旅立ちの準備をしていて、それを恋人である由香が手伝っていた。ところが荒生田が、そんな楽しいひとときに乱入してきたのだ。

 

 荒生田は伊達男を気取っているくせに、けっこう鈍感な部分もある(もっともこのサングラス😎野郎の場合、全部そうみたいだけど☠)。だから後輩の裕志と給仕係の由香の仲を、いまだに知らないままでいた。

 

 未来亭全体を見回しても、裕志と由香の関係を知らない者は、ほとんどいないはずなのに。

 

 それはともかく、ふたりがいっしょの部屋にいる現場を荒生田から見られたら、とんでもないほどドエラい事態となるは必定。荒生田のドギツい性格からして、見つかったらとてもヤバい結果はわかりきっていた。そこでとっさの判断で、由香は自分の体を水に変え、バケツの中に隠れていたのだ。

 

 実を言うと同じ方法でずっと以前、由香はもっとこっ酷い目に遭わされた経験(加害者はもち荒生田)があった。だが今回も荒生田登場の時点で、変身をためらっている余裕はなかったのである。

 

「……確かに怒るっちゃろうねぇ〜〜☠」

 

 孝治が立腹するであろう話の展開は、裕志の脳内にも浮かんでいた。しかしそれ以上に、先輩の脅威は大きかった。

 

「そやけど、やっぱし先輩にも絶対逆らえんけねぇ☂ そこは孝治かて、わかってくれるっち思うっちゃよ☹」

 

「裕志さんも孝治くんも、でたん厄介な先輩ばもって、おうじょ(筑豊弁で『苦労』)するっちゃねぇ☹☹」

 

 ベッドに腰を下ろしてため息を吐く裕志の前で、完全に人の姿に戻った由香が、バケツから全身を出していた。すると裕志は急激に赤い顔となって、慌てて由香から視線をそらし、頭を横に振りまくって目をつぶった。

 

「わっ! ゆ、由香ぁ……!」

 

「あら? どげんかしたと?」

 

 大慌ての裕志とは反対に、由香は訳がわからないといったキョトン顔になった。それでも裕志はなんとかして、言葉をつむぎ出した。

 

「あ……あのぉ、由香ぁ……よ、良かったらねぇ……☁」

 

「良かったら?」

 

 裕志の鼻からは、早くも血液(ちなみにO型)の流出が始まっていた。

 

「は、早よ服ば着てくれんね! ベッドん下に隠しちょう奴ば!」

 

「きゃあーーっ!」

 

 ウンディーネは着ている服(給仕係の制服)までは水にはできないっていう、話のオチ。あとの描写は、ご想像にお任せいたします。


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