『剣遊記[』 第一章 女格闘士、御来店。 (11) 『ふぅ〜ん、阿蘇のカルデラは世界最大の直径があってぇ、今でもときどき噴火する活火山けぇ〜〜♋ 前に噴火した霧島山とは、同じ霧島火山帯なんやねぇ✍』
孝治の部屋に帰ってすぐ、涼子はベッドの上に腹ばいの姿勢で寝そべり、先ほどからずっと、日本地理の本を読みふけっていた。ちなみにその本は、友美が図書館から借りてきた物。到津の部屋にあった地図帳とは別物である。
涼子の体は幽体なので、本に直接触れることはできなかった。その代わりに幽霊ならではのポルターガイスト{騒霊現象}で、難なくページをめくれるのだ。
「涼子って、生きちょるときはいろんな本ば読みよったっち言いよったけど、まだ読んでなかった本もあったっちゃねぇ✎」
ベッドの横にある丸椅子に座って、友美が涼子の読書の様子を眺めていた。すぐに涼子が瞳を本に向けたままで、友美に応えた。
『そりゃそうっちゃよ☞ 見てんとおり、あたしは若くして逝っちゃったもんやけ、まだまだ読めんかった本がこの世にはいっぱいあると✐✑ でもこげんして新しい本が読めるんは、あたしが成仏ばせんからやけねぇ♣ やけんもうしばらく、この世に執着させてもらうっちゃね♥』
「本の話からどげんしてすぐ、この世あの世の話になるとや?」
あしたに備えての準備中である孝治は、現在寝間着に着換えようとしている最中でいた。しかし、鎧や上着を脱ぐのはまだ良いほうだとしても、ふたりの乙女(友美と涼子)の前で、堂々と下着までも脱ぎ捨てる奔放ぶりも発揮中。これが男性時代の孝治であれば、さすがに友美たちを部屋の外に出しているところであろう。けれども今は、同じ女性同士だから問題なし(?)――ってなところで、友美と涼子の前でも、孝治は裸を晒すことに慣れっことなっていた。
人間変われば変わるものである。
『でも、この本には阿蘇にフェニックスが棲んじょるなんち、どこにも書かれとらんちゃよ☛』
もはやこちらも見慣れているようで、孝治のけっこう均整の取れた裸など気にも留めず、涼子は相変わらずのポルターガイストで、地理の本をめくっていた。
実際に、人のことは言えないし。
それはとにかく、涼子が読書している様子をなにも知らずに見てしまえば、ベッドの上に置かれている本が、風もないのに勝手にページがめくれている怪奇現象と思われるだろう。この場にいる者が、孝治と友美だけで幸いである。
「それはやねぇ☞」
涼子の疑問に孝治は、寝間着を着ている最中のままで答えた。
その前に、ここだけの話。孝治の胸は、この場にいる三人の中で、実は一番大きかったりする。これは実年齢の違いもあるだろう(孝治は十八歳。友美は十七歳。涼子は享年が十七歳)。だがそれでも、断トツは孝治であることに間違いはない。だから堂々と着替えを行なう行為は、友美と涼子に対する、孝治の密かな自慢でもあったりして。
元の話に戻ろう。
「阿蘇で年中噴煙ば上げとうのは真ん中の中岳やけど、それ以外にも阿蘇には知られちょらん噴火口がいくつかあるらしいけねぇ✍ やけんフェニックスは、そん中のどれかに隠れて棲んじょるんかもね☟」
「それじゃ、現地に着いてから探すんが大変ちゃねぇ♋」
「そうっちゃねぇ〜〜☁」
孝治のセリフで友美が、フェニックス探しのむずかしさを心配。孝治自身にも、それが伝染した。
それも無理はなく、阿蘇山一帯が、とにかくダダっ広い国立公園で有名だからだ。さらに先に涼子が言ったとおり、阿蘇は世界最大級の外輪山に囲まれたカルデラ火山である。そのカルデラの中央に、背骨のような火山地帯が連なり、噴煙を上げている火口間近まで観光客がよく行く所は、真ん中にある最大火口の中岳となっている。
「とにかくそん中岳でフェニックスば見たっちゅう話ば聞かんとやけ、彼女とやらが棲んじょるんは、中岳以外っちゅうことっちゃね☛」
到津からの影響を、もろに受けたらしい。孝治も以前の漠然とした考えから、今や完全にフェニックスを女性扱いしている自分を自覚した。また、この例え話は涼子を通じて友美も知っているので、もう突っ込むような真似はしなかった。その代わりでもないだろうが、涼子が別方面から、話をつついてきた。
『でも、なんだかんだ言うたかて、孝治もずいぶん、今回のフェニックス探しに協力的になっとうっちゃね☞』
これに寝間着姿に着替え終わった孝治は、やや苦笑気分で答えてやった。
「そ、そりゃあれたい♠♐ なんつっても清美からにらまれたら、怖くて嫌っち言えんもんやけねぇ……☠」
一応孝治は、平静を装った澄まし顔――のつもり。しかし涼子は、さらにおもしろそうな顔になって、話に尾ひれを付け加えてくれた。
『そんだけじゃなかっちゃでしょ☻ 孝治ったら、あたしが昼間言うたこつ、まだ頭に引っ掛かとうちゃろ♐』
「……うわっち! な、なんのことね?」
「ねえ、いったいなんがあったと?」
涼子の言葉でとぼけた態度を取る孝治に、友美が椅子から立ち上がって尋ねた。すると幽霊娘――涼子が含み笑いを浮かべながらで、友美の疑問に答えた。
『孝治はやねぇ、自分もフェニックスの血ば飲ませてもろうて、男に戻るつもりなんよね、きっと☻ もっともこれば吹聴したんは、あたしなんやけどね✌』
「まあ!」
友美が驚きの顔になって、顔面熟柿の思いである孝治に瞳を向けた。当然孝治としては、もはや開き直るしか手段がなかった。
「……わ、悪かっちゃね……おれが男に戻っても……♋」
「いえ……悪くはなか……っち思うっちゃけどぉ……☁」
孝治はすぐにピン💡ときた(珍しくも)。友美は顔に、次のような文字を浮かべていたのだ。
思うっちゃけどぉ……でもなんか、もったいない気持ちがするっちゃねぇ――という感じで。
「まあ、孝治かてほんとは男ん子やけ、やっぱ元ん体に戻りたいっちゃねぇ……でもぉ……☁」
『でもぉ……? なんか問題でもあると?』
ここで言葉に詰まった孝治の代わりか。涼子が友美に突っ込んでくれた。
友美がズバリと答えた。
「フェニックスん血ば飲んで、ほんなこつ元に戻れるんやろっか?」
「うわっち! それはやってみんとわからんやろうも!」
不安げな感じで首を傾げる友美に、孝治は再び開き直りの姿勢で応じ返した。
「と、とにかくやねぇ♨ どげな病気やケガかて治すフェニックスの血なんやけ、試す価値は充分以上にあるっちゃろ♨」
「孝治ん場合、病気やケガとは違うっち思うっちゃけどぉ……☁☹」
「うわっち!」
友美の一見何気ないようなつぶやきに、孝治は過剰気味で反応した。あとで『恥ずかしかぁ〜〜☠』と、自分で思ったほどに。
「そ、それば言うたら身もフタもなかばい……とにかく試してみんとわからんのやけ♨」
「それもそうっちゃね☺ じゃあこの件は、一時棚上げたいね☝」
大いにうろたえる孝治を前にして、友美が可愛くペロッと舌を出した。
「それとぉ……あとひとつ、心配なことがあるっちゃけど☺」
「今度はなんね?」
いくら長い付き合いのある友美からでも、質問が何回も繰り返されたら、さすがに面倒臭くなってくる。孝治は思わず投げ槍的な口調になったが、友美はそれには関知せず。別方面の問いを尋ねてくれた。
「あしたは裕志くんもいっしょに行くことになっとうとでしょ☛ 裕志くんといえば……あん人もついて来るとかしら?」
「うわっち!」
このとき孝治の心臓は、ひと際大きく鼓動した。
『来るんやなか? あん人んこつやけ♡』
涼子までがおもしろがっている感じで、孝治をよけい不安に陥れる駄目押しを言ってくれた。
「……だ、大丈夫やなかろっか……☠」
孝治の友美・涼子に対する返答は、歯をガチガチと鳴らせるおまけ付きだった。
「ひ、裕志にゃあ厳重に黙っちょうよう頼んでおいたし……他んみんなにもやね……やけん大丈夫……っち思うっちゃよ……たぶん☠☠」
『あの裕志くんがあん人に黙っちょうなんち、できるっちゃろうかねぇ?』
「…………☠♋♋」
お終いの涼子のささやきに、孝治は言葉を返せなかった。
そう。あの裕志が『あん人』からの圧力に耐えるなど、果たしてできるのであろうか。
期待は最初っから持たないほうが賢明だったりして。 (C)2013 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |