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『剣遊記[』

第一章  女格闘士、御来店。

     (1)

 ある日の昼下がり。

 

 ここ、北九州市でも指折り(木造四階建て)の酒場兼宿屋である未来亭に、ひとりの珍しい客が来店した。

 

「ごめんくださぁーーい!」

 

「あっ! いらっしゃいませぇ♡」

 

 すぐに手慣れた接客姿勢で、給仕係の香月登志子{かつき としこ}が応対。ただひとつ残念な点は、登志子が大好物であるチョコレートを、むしゃむしゃとつまみ食いしながらでの行動――だけれど、この際その件は不問とする。それよりも登志子は、来客の姿格好のほうに、自分の瞳を釘付けにされた。

 

「お……お客様は、確か……✍」

 

 突然の来客は登志子にとって、どこかで見た覚えのある顔だった。

 

ただし、知り合いとしてではない。なにかのイベントで見たことのある有名人――と言った感じの記憶として、頭の片隅に残っている――そんな顔であった。

 

だから名前も、一応知っていた。

 

「お客様……確か、格闘士の……畑三枝子{はた みえこ}さん……ですよねぇ……✐✒」

 

「はい……☁」

 

 登志子から畑三枝子と名指しをされた女性客は、体中を甲装鎧で固めた、いかつい姿をしていた。だけど腰に剣の類はなく、短刀のみの軽微な武装であった。しかしそれでも、うしろに束ねている黒髪が、見る者にいかにも精悍そうな印象を与えていた。

 

 三枝子から返事が戻るなり登志子は、給仕係の仕事と立場を忘れ、神聖な職場ではしゃぎまくった。

 

「きゃあーーっ♡ わたし知っちょります♡ 今年の北九州市の闘技大会で女子格闘技部門で優勝した畑三枝子さんでしょ♡ わたしそん日のことば、きのうみたいに覚えちょうとですう〜〜っす♡」

 

 このように完全ミーハー状態となった登志子とは対照的。三枝子は赤い顔になって照れていた。

 

「あのぉ……確かにあたしが畑三枝子なんですけどぉ……あたしはふつうの客として、こん店に来ただけであって……そげん騒がんでもよかですよ……☁♋」

 

 しかし登志子は三枝子の、『どうかご静粛に✋』の要望を、まったく聞き入れないまま。大急ぎで奥の厨房へと駆け込んだ。

 

「みんなぁーーっ! ちょっと大変ちゃよぉーーっ! 女子格闘技優勝者の畑三枝子さんが御来店されたとばぁーーい♡」


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