『剣遊記13』 第一章 天才魔術師のお見合い。 (2) これを端から見れば、地上からほぼ一・五メートルの空中――と言ったところであろうか。
その雲からポツンポツンと、小さな水滴が落ちてきた。それがすぐに、突如始まった局地的ゲリラ豪雨のような激降りとなった。
「うわっ!」
少年は初め、急に自分の顔に降りかかった雨で、思わずであろう驚きの声を上げた。だけど驚きはすぐに、とにかくノドを潤わせてくれた喜びへと取って代わられた。
「うまかぁ……☺」
美奈子は京都弁で『しゃしゃりもない』、つまり『味わいもない』と言った。だが少年にとっては、まこと美味なる甘露となったようだ。
「す、すまんねぇ……お嬢ちゃん……☺☆」
少年は、ようやく生気を取り戻したかのようだった。道路上にうつ伏せの格好から仰向けに反転し、まずは上半身だけを起き上がらせた。
これに幼い美奈子は、これこそ六歳の年齢にふさわしい笑顔で応えた。
「あんじょうようなったようでんなぁ☀ これでうちも安心どすえ♡」
美奈子の瞳に写った少年は、行き倒れにしては身綺麗な、ある意味高貴な品格さえも感じられる気がしていた。
服装そのものは一般の市井風なのだが、やはりどこか育ちの良さがにじんでいるのだろうか。それなのに、そもそも気高そうな人物がどうして行き倒れていた理由自体が、まだ幼い美奈子にはいまいちわからないし、また理解もできないのだが。
だけども六歳ながら前述のとおり、美奈子は大いに大人じみていた。
「どないしてこないなけったいなとこに倒れてはったんか……そのわけは聞かんことにいたしますえ☻ とにかく困ったことがなんかおましたら、いつでもうちを頼ってええんやで☺」
「そ……そうですか☀」
美奈子の言葉で少年の顔に、笑みがにじみ出た。
「なんか……僕よかずっと、年上みたいなお嬢ちゃんやなぁ☺ 見ればお嬢ちゃんは魔術師のようなんやけど、やっぱ修行中の身なんやろっか?」
少年の問いに美奈子は、大人じみていると自覚している自分の笑顔を、さらにエスカレートさせるような気持ちになった。
「せやで✌ うちは京都の魔術師の弟子でおまんのや✍ そやさかい、これから仰山、魔術を覚えなならんのやで♠♣」
「じゃあ、お嬢ちゃんがいっちょ前の魔術師になったら、この僕のお嫁さんになってもらおっかいね♡」
「へえ、期待せえへんで待ってますさかい☻」
「こりゃまたご立派過ぎる命の恩人ばいねぇ☻」
美奈子のきついながらも愛嬌たっぷりな返事。少年はやや呆気に取られながらも、そんなに悪い気のしないような顔付きとなった。
それから少年は、すぐに立ち上がった。美奈子の魔術雨のおかげで、失いかけていたであろう体力を、ほぼ取り戻したような感じでいた。
「じゃあ、僕は行かなきゃならんとやけど、また会{お}うたときのために、お嬢ちゃんの名前ば教えてくれんね♡」
これに美奈子は、正直に答えた。見知らぬ地方の者であるはずなのに、なぜか警戒心が、まったく起こらなかったものだから。
「うち……天籟寺美奈子、言いまんのや✍」
「そうけ、美奈子ちゃんやね✍ 僕の名は若戸俊二郎{わかと しゅんじろう}っち言うと✐ また会う日までばいねぇ⛴」
俊二郎は風のようにして、美奈子の前から消えていった。
その消え去る前のうしろ姿を見つめながら、美奈子はやはり、大人じみたつぶやきを続けていた。
「しもた……水代もろうとくんやったわぁ☻」
何度も繰り返すが天籟寺美奈子、わずか六歳の、ある日の出来事であった。 (C)2015 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |