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『剣遊記W』

第一章  流れ着いた男たち。

     (8)

 このとき貴賓席で鎮座している黒崎の所へ、秘書の光明勝美{こうみょう かつみ}が、パタパタと飛んできた。

 

「店長、馬車の用意ができてますばい✈」

 

 つまり黒崎は、これから次の仕事へと出向く予定らしい。なお、パタパタという表現をした理由は、勝美の背中(きちんとした秘書スタイルであるが、背の部分が開いている)から半透明のアゲハチョウ型の羽根が広がっており、その羽ばたきで文字どおりに空中を飛んできたからだ。

 

 今さら解説の必要もないとは思うが、勝美はピクシー{小妖精}であり、その身長は一般人の手の平サイズである。

 

「わかったがや。すぐに行こう」

 

 帆柱の勝利が確定。さらに勝美が出発をうながしたところで、黒崎は席から立ち上がった。

 

「では、これにて失礼いたしますがや。これから大事なお客様と、会わなければいけない約束がありますので」

 

 まさにためらう素振りもなし。選手たちが死力を尽くした闘技場に背を向けて、秘書といっしょに立ち去るのみだった。

 

 これから行なわれる表彰式など、まるで興味なし――と言わんばかりの素早さで。勝美に至っては、紅梅に顔すら向けようとしていない。

 

 しかしこの態度が、敗者である紅梅には、とてつもない屈辱感となる。黒崎と勝美はそこまでわかって、このような行動を取っているのであろうか。

 

「…………☠」

 

 紅梅としては、ここで恥も外聞もなく、おまけに年甲斐もなく、思いっきり罵倒を浴びせたい心境であろう。だがそれを本当に実行すれば最期。おのれの無様さが、よけいに目立ち過ぎるだけなのだ。

 

 それがわかっているだけに、五臓六腑が煮えたぎる思いにジッと耐え、ガリガリと歯ぎしりを繰り返すしか、今の彼にはできることがなかった。


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