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『剣遊記閑話休題編T』

第三章 真夏の嵐の夜の夢。

     (1)

 孝治の悪い胸騒ぎが的中。黒雲は、やはり雨を呼んだ。しかも思いっきりの土砂降りを。

 

「ドエラかこつなったもんばいねぇ☂!」

 

 このゲリラ豪雨とも言えそうな大雨のために島へ戻れなくなり、高須夫婦は海辺にある藁小屋を間借りして、一泊過ごす破目となっていた。その小屋でジッとしているしかない桃子が、中に置いてあった火鉢の中の炭に火を点けている夫の高須に、心底から困っている顔を向けた。それもかなり大きめな声を出しながらで。

 

「そうやなぁ!」

 

 高須も大きな声で返してきた。

 

 この状況は、ふたりが決して大ゲンカをしているわけではなかった。ただ雨降りの音が大き過ぎて、ふつうの会話ではお互いの声が聞こえにくかったからなのだ。

 

 また、小屋の海側にある小窓からは、夫婦の海の家がある小島が土砂降りの雨の中、薄ボンヤリと浮かんで見えていた。

 

 時折ほんのりと、灯りが不知火{しらぬい}のように、島の一点に映っていた。これは残されている姪の朋子と友達が、ロウソクの火でも灯しているのだろうか。

 

 そげなんなかよ……ロウソクがここまで見えるはずなかばい――と思いつつ、桃子が再び高須相手につぶやいた。

 

「朋子たち……あの島に置き去りばい☂ きっとえずい思いばしようっち思うけ、なんとか助けに行けんとやろっか?」

 

 突然の豪雨とはいえ、姪やその友人たちを島に取り残すこととなり、桃子も高須も、後悔の思いで胸がいっぱいとなっていた。これに夫である高須が、苦虫を噛んでいるような顔をして応えた。

 

「気ばあせっちょうのはオレもおんなじばい☁ やけど、こげん雨が降りよったら、今は無理ったいねぇ☁ オレのボートじゃ一発で転覆すんのは間違いなかけ☂」

 

 高須は嵐の海の恐ろしさを、身に沁みて実感していた。今は海の家のオーナーだが、これでも昔は遠洋漁業で、荒れた海を苦労を経験している身の上であるから。

 

「どげな雨かて、ただの雨やっち舐めてかかったら命取りになるとばい☠ やけん嵐の最中にボートば出すほど無謀な真似はなかけんね♐ それに朋子かて、あれでけっこうたくましいとこがあるけ、ひと晩くらいほっといたかて、そげん心配せんでもよか♠ とにかくあしたになって天気が良うなったら、すぐに島に戻るったい♠」

 

「そうやね♥ せっかく海に来とうとにこげな目に遭わせたんやけ、あしたはこの分、大サービスばしてあげんとね♡」

 

 桃子はそう言って、両足の代わりになっている頭足類の触手(イカなのかタコなのか、区別がつかない)を這わせ、火鉢の前で胡坐{あぐら}をかいている高須の肩に寄り添った。

 

 触手の裏側にある吸盤群が、これはこれでけっこう可愛らしく見えたりもした。

 

「でも、なんか思い出すんよねぇ〜〜♡」

 

「ん? なんがね?」

 

 どことなく悩ましさを感じさせる妻――桃子のつぶやきに、夫の高須は心臓がこのとき少しだけ、ドキッと鼓動を速めた感じがした。そんな高須に桃子が言った。

 

「あたしたちって、島の小屋ば借りる前はこげな小さな藁小屋ば借りて、まずは小さいキャラバンの真似事ばすることから始めたんよねぇ♡ あんときはずいぶんふたりで苦労ばしたもんばいねぇ♡」

 

「ああ、そん苦労のせいで、オレもかなり頭が薄うなっちまったもんやけどねぇ♥」

 

 苦笑を浮かべて、高須が自分の頭を右手でペシペシと叩いた。涼子から指摘をされるまでもなく、高須はとっくに自覚(?)をしていたのだ。

 

「もう! せっかくのムードが台無しばってん!」

 

 などと多少のはぐらかしはあるものの、これはこれでけっこう仲睦まじい高須夫婦であったりする。

 

 この間島では、朋子や孝治たちが大騒動の真っ最中であったというのに。


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