『剣遊記T』 第五章 国境突破は反則技で。 (7) 「きゃあーーっ! ムカデん化け物が出たぁーーっ!」
千秋に続く友美の悲鳴のとおり、水面から現われた怪物はムカデ。それも人の足元をチョロチョロとしているような、ちっぽけな虫ではなかった。
続いて孝治の悲鳴の番。
「うわっちぃーーっ! きょ、巨大ムカデっちゃあーーっ!」
現れたムカデは杉の大木並みの体格を持つ、正真正銘の大怪物であったのだ。
その巨大さは全身をまっすぐに伸ばせば、孝治の身長の、およそ三十人分はあるだろうか。それが体の前半分を、水上でガバッと垂直に立ち上がらせた。いわゆるシャチホコガの幼虫の体勢である。
さらにクワガタムシの巨大版のような大アゴを光らせ、気色の悪いかたちをした口の部分からは、涎{よだれ}がポタポタと何十滴も流れ落ちていた。
また、不気味な光沢を放つ複眼は、居並ぶ人間全員とロバを、間違いなく視界に収めているようだった。
「まあ、こないけったいな所に大きなムカデはんがおりはったとは、これはまたビックリ仰天でおますなぁ♪」
これで驚きを表現しているつもりらしいが、美奈子も巨大ムカデを前に、裸で棒立ち状態となっていた。しかし表情にも、それほど驚愕の色はなし。
「こいつ! ムカデんくせして水中に隠れとったとやあ!」
美奈子はとにかく、孝治は真剣であった。鎧の着用はもはやあきらめたが、剣だけはどうにかして、手に入れなければならない。孝治は早急に、頭で策を巡らせた。
しかし、今のままでは木にぶら下がっている剣を、簡単に手にする方法がなかった(鞘に収容されてベルトに固定されたままぶら下がっているので、とにかく走り寄ってのジャンプしかない)。
「い、いったい、どげんしたらええっちゃねぇ!」
巨大ムカデを前にして、木の下まで走る余裕すらないのだ。
「こ、こげんなるかもしれんかったとにぃ、大事な武器ば遠くに置くもんやなかぁーーっ!」
頭にきた孝治は、依頼人への文句――最大の禁忌{タブー}も、もはやためらわなかった。そこへ木の上からなんと、念願の剣がポーンと飛んできたではないか。
「うわっち! な、なんで? ま、まあ、これで助かったとやけどぉ……♋」
御都合主義も、ここに極まれり――であろう。とにかく不思議に思って、孝治はポカンと木の上に顔を向けた。理由はすぐに判明した。
『ほらぁ、孝治がドン臭いっちゃけ、あたしがポルターガイストで剣ば落とし投げてやったっちゃよ♨』
頭上にはプカプカと、涼子が浮遊しながらブツクサと垂れていた。
「すまん! 礼はあとでするけね!」
涼子への感謝は、今は後回し。孝治は大急ぎで、足元にある剣を右手で拾い上げた。
それも全裸姿で剣一本――究極の無防備戦闘スタイルであった。だけど準備万端などと、調子に乗った贅沢などは言っていられない。
「さあ、来んけぇ!」
とにかく頼りになる愛剣を両手で持ち上げ、孝治は裸のままで身構えた。しかもこれが、女性化をして初めての、剣による本格的な戦闘だった。ただし、前にも懸念をしていたとおり、体格の変化による、男時代のような剣の扱い方が、果たしてうまくできるのかどうか。今もその不安は、胸に込められたまま。だがもはや、剣の修行のやり直しどころではない事態にまで、孝治は追い詰められていた。
「こげんなったら、もうヤケクソったぁーーい! さあ、どっからでもかかって来んねぇ!」
そこへ涼子が、こそこそと話しかけてきた。
『ねえ、どげんして急に巨大ムカデが出たっち思う?』
「うわっち!」
まさに幽霊ならではの余裕しゃくしゃくぶり。出鼻をくじかれること、このうえなし。それでも孝治は親切な気持ち(?)で、涼子の問いに付き合ってやった。
「た、たぶん……こいつ肉食やけ、血の匂いでも嗅ぎつけたんやなかろっか☠ とにかくこの手の怪物は、動物の血っとかに敏感なんやけねぇ☠」
『じゃあ、その血っち、さっき孝治が流した鼻血やね♠』
「うわっち! じゃ、じゃあ、おれが原因っち……言うわけねぇ!?」 (C)2010 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |