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『剣遊記T』

第五章 国境突破は反則技で。

     (3)

 水場は近いようで遠かった。

 

 念願の泉は国東半島の森林の奥深く、樹木が生い茂る藪{やぶ}の中、ポッカリと開いた場所に存在していた。

 

 そこはまさに、山から生じた綺麗な湧き水が滝となってほとばしる、名も知らぬ小さくて美しい水場といえた。

 

「もうちょい頑張りやぁ! 水の音がだんだん大きゅうなりよるでぇ!」

 

 トラの手綱を牽く千秋のそんな𠮟咤激励を一応信じ、孝治たちは山道を、ひたすら登り続けた。

 

 その結果は、やや満足なものと言えた。しかし孝治としては、我慢の限界どころの話でなし。泉に到着するまでの時間を、なんと半日も費やしてしまったのだ。

 

「お、おれが馬鹿やったばい……高が泉に全エネルギーば使ってしもうてからにぃ……

 

 孝治は両手の手の平を地面に付け、腰をかがめて、ぜいぜいと荒い息を吐いた。

 

 早い話が、すでに夕暮れ。今晩の夕食は、これにておじゃん。宇佐市に戻って宿を取る予定も、すべてがご破算となっていた。

 

「まあ、なんにしてもこげん山ん中まで来てしもうたら、今夜はここでひと晩、野宿するしかなかろうっちゃねぇ☁」

 

 同じく地面に腰を下ろしてひと休みしている友美も、とっくに覚悟を決めているようだ。この一方で、美奈子は気が早いらしかった。なんと着ている黒衣を泉を前にして、さっさと脱ぎ始めていた。

 

「ひと晩どしたら、その分存分に水浴びが楽しめるというものどすえ♡ なんにしても願いが叶{かの}うて、妾{わらわ}は大変満足でおます♡ では、遠慮のう泳がせてもらいますえ☺」

 

「うわっち!」

 

 それこそ気兼ねもためらいも、まったくカケラほどにも感じさせない美奈子の脱ぎっぷり。孝治はたちまち、瞳のやり場を失った。

 

「ちょ、ちょ、ちょっと早かですよ、美奈子さん! 着いて早々、もう泳ぐとですか! 服ば全部脱いでしもうてからぁ!」

 

 孝治は大慌てとなり、両手で自分の瞳を覆い隠した。

 

 未来亭で初めてご対面したときも、美奈子は華麗なる裸身を、なにも臆する素振りもなし。孝治たちに堂々と公開してくれた。

 

 これは自分の容姿に、よほどの自信がみなぎっているのであろうか。とにかくそのときから孝治は、『なんちゅう大胆豪快なお人やねぇ〜〜♋』と、美奈子の第一印象を脳裏に深く刻み込んでいた。

 

(もしかしたらこれこそ、美奈子さんが発しちょう正体不明威圧感の、大きな原因かもしんばい……♋)

 

そんな思いで孝治は、本能的動作により、美奈子にクルリと背を向けた。

 

 つまりがいつもの回れ右。同時に脱衣が終了した模様。派手なバッシャアアアアンという水音が、背後に大きく轟いた。これは全裸となった美奈子が、泉に飛び込んだ音であろう。

 

 ついでに言えば、泉には飛び込んでも大丈夫なような、けっこう深い所もある――と言うことか。

 

「と、友美ぃ〜〜☂」

 

 両方の瞳を必死の思いで閉じたまま、孝治はそばにいるはずである自分のパートナーに尋ねてみた。すでに自分でも、だいたいわかっていることを。

 

「み、美奈子さん……もう水に入ったとや?」

 

 友美はあっけらかんといった感じで答えてくれた。

 

「うん、入ったっちゃよ☟ 前にもいっぺん見せてもろうたんやけど、美奈子さんの裸って、やっぱ綺麗っちゃねぇ♡」

 

 やはり正真正銘の女性(?)であるからこそ、友美は冷静な態度が維持できるのであろう。

 

元から順応力も高かったし。

 

「こげんときっち、友美がうらやましかばい☠」

 

ここで思わず愚痴ったとおり、孝治は今さら強調するまでもなく、元は男性。まともに裸を直視できるわけがなし。一種の罪悪感すら、胸の中に生じさせていた。

 

 そんな意識の最中にある孝治に、今度は千秋が、背中から声をかけてきた。

 

「ネーちゃん、なにガチガチになっとんのや☻ 千秋も先に入らせてもらうで♡」

 

「勝手に入ればよかろうも☠」

 

 人の気も知らんと、好き勝手言うてからにぃ――と、少しだけ立腹。孝治はなんとなくの思いで、そぉ〜っとうしろに振り返った。とたんにその場で、孝治は一メートル飛び上がった。

 

「うわっち!」

 

 今回は高さは(これで)低めだった。それは置いて、だいたいの予想はしていたのだが、千秋も服を全部脱ぎ捨て、師匠と同じ真っ裸になっていた。

 

 ただし、成長しきっている美奈子と比べれば、こちらはもろに幼児体型(胸もまだまだ成長途上☻)。しかしその事実を指摘すれば、千秋はテキメンに気を悪くするに違いない。いや、大声でまた泣き出すかも、

 

「お、おまえまでなんしよんね! ちったあ恥じらいっちゅうもんば知らんね!」

 

 それでも一応、孝治は注意勧告気分で大声を張り上げた。だけども千秋は、やっぱりケロッとした顔のまま。

 

「別にえやないか♡ ここには出歯亀やろうっちゅう、不届きなアホはおらんさかい♡」

 

「で、出歯亀っちゅうてもなぁ……☠」

 

 まさか『おまえん目の前に、そん出歯亀がおるとやけど☠』とは、口が裂けても言えない。孝治は今だけに限定して、自分を性転換してくれた女賊に、心の底から感謝をした。

 

「ほな、先に行かせてもらうで♡」

 

 当たり前だが、孝治の心の葛藤など、まるで気づくはずもなし。千秋がクルリと背中を向け、師匠が泳いでいる泉へと駆け出した。

 

 そのうしろ姿を眺めた孝治は、ついよけいなひと言を、口からポロリとすべらせた。

 

「千秋ちゃんって……胸がいっちょもなかったばい☛ あれでほんなこつ、十四歳なんやろっか?」

 

「それば言うたら、いかんっち思うわ☢ でもぉ……⛅」

 

 孝治のつまらないひと言を耳に入れたらしい友美が、自分の口の前で、右手の人差し指を立てた。だけどセリフ自体には、納得のご様子。静かにうんうんとうなずいていた。

 

「……わたしもぉ、そげん思うっちゃね♥」

 

 そこへ美奈子が、泉から大きな声をかけてきた。

 

「孝治はんに友美はぁーーん! あなたちもごいっしょに泳ぎまへんかぁ! とっても気持ちがええどすえーーっ♡」


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