『剣遊記T』 第五章 国境突破は反則技で。 (11) 千秋が右手で指し示した街道の先。そこには九州を南北に分断する国境の砦{とりで}が、威風堂々の構えでそびえていた。
それは赤い煉瓦{れんが}造りの、まるで軍事要塞を連想させるような、実に堅固な建造物であった。
さらに建物の両側には、孝治の身長よりも高そうな木造の柵{さく}が、行く者の進行を妨げるかたちで東西に広がっていた。
これが北九州市の城門であれば、顔なじみの衛兵(砂津)のおかげで、ほとんど自由通行に近かった。
だが、現実の国境では、そうはいかないものだ。
孝治たちが今回通過をしなければいけない砦は、大分と宮崎の国境{くにざかい}。鹿児島への旅路の中で、最も大きな障害といえた。
そんな砦を前にして、孝治は鎧の懐から、例の問題付き通行証を右手で取り出した。
ふつうの市町村の場合、『未来亭効果』とやらで、多少の問題ありでも、すんなりと通過ができるところだろう。これで日本一警戒が厳重といわれる島津領の砦を越えられたら、黒崎店長の大言壮語が、名実ともに実証されるかたちとなるわけだ。
ふと右横を見ると、友美もすでに孝治と同じようにして、懐から通行証を取り出していた。こちらはなんの変更も無いはずなので、孝治に比べて特に問題はないはずだ。また、美奈子と千秋も、それぞれの通行証を、とっくに右手で持っていた。
(このふたりの通行証って、いったいどげなことが書いとんやろっかねぇ?)
一応の準備が整ったところで、孝治は一瞬、つまらない興味を胸に感じた。実際、今までの小さい検問所で美奈子と千秋が通行証を出したとき、孝治と友美には、内容を絶対に見せてはくれなかった。
その代わり、通行証を確認した町の門番が、なぜか青い顔になる様子が、孝治にとって、妙に印象的な出来事であった。
もちろん涼子にそっと覗くよう、頼んでみたこともあった。だが、それも無駄な努力でしかなかった。
『漢字がむずかしかったけ、あたしにはいっちょも読めんかったわ☠』
(それでも貴族の令嬢け!)
などと孝治は、決して口にはしなかった。それはとにかく、友美は砦を前にして、美奈子と千秋に小さな声でささやいていた。
「ふたりとも、もう知っとうっち思いますけど、これから訛りっとか風習の違いに気ぃつけてくださいね☢ 同じ九州であったかて、南北でそーとー分かれとりますけ⛔」
「はい、それは重々承知しておりますえ♡」
内容が重たそうなセリフとは裏腹に、美奈子は真から気軽そうな明るい笑顔で、友美にうなずいていた。しかもその瞳は、興味しんしんの色で強く染まってもいた。
「鹿児島弁どしたら、妾{わらわ}もよう知っておりますえ✍ でも、なんで九州は、大きゅうふたつに分かれておますんやろ? 妾{わrわ}もそのけったいな感じは、今も疑問に思うとりまんのやけどなぁ♠」
「美奈子さんは九州の南北分断は知っちょるみたいやけど、その理由までは知らんかったんやねぇ♣」
孝治は軽い気持ちで、美奈子の疑問に突っ込もうとした。ところが友美は孝治に構わず、美奈子への説明を先に始めていた。
「ここ九州はですね、昔は地方ごとに、けっこういろんな領主があったとですよ♥」
「それは妾{わらわ}も、よう存じておりますえ✎ でもそれがどないしはって、北と南になったんでおますんやろ?」
友美の説明開始で、美奈子はさらに興味を深めた感じになっていた。
(おれの立場はどげんなるとや?)
などの愚痴は、この際棚上げ。口にも顔にも出さないようにして、孝治は小さくつぶやいた。
(なるほどねぇ、美奈子さんは関西の人やけ、単純に大きくふたつの系統に分かれちょる九州が、やっぱ珍しいんやろうねぇ♥)
「で、その、九州がふたちに分割されてる理由なんですけどぉ……☁」
砦がだいぶ近くなったためか、友美の説明が多少警戒気味で、やや小声の早口になっていた。
「今から五百年くらい前、織田皇帝の命令で羽柴公爵が博多に入ったとき、大分も佐賀も長崎も熊本も、そしてわたしたちが住んでる北九州にも、それぞれ別々の統括者がおったとに、これがぜーんぶ、羽柴家の統括にされてしもうたとです✋ でもこれって、わたしらの先祖にとっては、そーとー迷惑な話やったっち思うとですけどねぇ⛔ なんちゅうたかて、いつん間にか、博多が九州の中心ってことになっとうとですから☆ 一事は方言まで統一しようか、っちゅう話もあったそうなんですけど、それでも九州のあちこち、佐賀弁やら長崎弁やら熊本弁って、きちんと地元に根付いてますから、今さらそれは無理やったとです✌ で、わたしのおじいちゃんやおばあちゃんに言わせれば、今でも北九州とか筑豊の言葉は、博多とはそーとー違うっち言いよりますけ★ まあ、わたしら自体は博多弁に、だいぶ侵略されてますけどね☻ 新聞とかニュースでも、博多弁が日常であふれてますから☻♋」
友美自身に、なにか思うところがあるのだろうか。けっこう長い説明だった。
「ふぅ〜ん、そういうことなんやなぁ☁」
それでもこちらも、けっこう我慢強い性格であるらしい。千秋が説明に納得したかのように、大きなうなずきを繰り返した。
「つまり、こうやな☝ 鹿児島の島津はんも羽柴に対抗意識燃やして、大分と宮崎の間に、でっかい砦なんかを造ったってことやな☟ こっからこっちには来たらあかん、ってな感じやな☠⛔ ほんま、ご先祖様にとって、難儀で迷惑な話やなぁ☠」
「そんじゃ、そげんことで砦越えに挑戦やけね☛ とにかく日本一厳しい砦やけ、気ぃ引き締めて行かんといけんけね☀」
話が終了したのを見計らって、孝治は一同に声をかけ直した。なにしろ性転換以来、なじみの領地内ではなく、初めての本格的国境越えなのだ。
気ぃ引き締めないけんのは、このおれ自身ちゃねぇ――と、孝治は全身が震えるような思いを、胸の中でこっそりと実感していた。
「ついでに言うたら、あげん大袈裟な砦におる役人っち、けっこう感じの悪いんが多いけねぇ〜〜☠」 (C)2010 Tetsuo Matsumoto, All Rights Reserved. |